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BEYOND DISCOVERY
日経サイエンス
■オゾン層の破壊
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1. オゾン層の破壊
2. 原因は何か
3. 2つの顔をもつオゾン
4. 地球の大気を探索する
5. CFC研究が本格化
6. 犯人は化学物質
7. オゾンホールの出現
8. 相次ぐ証拠
9. 災厄は遠のいた
10. クレジット
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BEYOND DISCOVERY
THE PATH FROM RESEARCH TO HUMAN BENEFIT
■オゾンホールの出現
 現実のオゾン層破壊はローランドとモリーナの予想以上に深刻だった。重大な危機を告げる兆候は1970年代末になって初めて現れた。しかし,そうした兆候を把握できたのは,100年近く前から積み重ねられてきた研究の蓄積があったおかげだ。

 1880年代,ハートレー(W. N. Hartley)は,幅広い波長帯の紫外線が大気にほとんど邪魔されずに地表に到達していることを発見した。この波長帯は「UV-A」といい,通常の可視光よりも波長がわずかに短い。オゾン層は「UV-B」という別の波長帯の紫外線を一部吸収し,地表に達するのを妨げる。1920年代,ドブソンは日光に含まれるUV-AとUV-Bの比率を測定することで,大気中のオゾンの総量を推定するのに初めて成功した。

 ドブソンは当初,これを天気予報の新しい手法にする考えだったが,オゾン濃度の季節変動に興味を移した。こうして開発した測定機器「ドブソン分光計」は,地上からオゾン濃度を観測する代表的な手段になった。

 第二次世界大戦中に開発された軍事技術は戦後,新しい科学研究機器の開発につながった。1957~1958年の国際地球観測年(IGY)には,これらが活躍して海洋や大気,未踏地域の探査などの研究が精力的になされた。

 南極地域のオゾン濃度も観測され,晩春の濃度は冬期よりも常に35%高いことがわかった。1970年代末の季節変動の観測でもほぼ同じ結果を示した。
 
image07 だが,1978年と79年に,英国の研究者がちょっとした異変を観測した。南半球に春が訪れる10月,オゾン濃度が過去20年間を通じて最低になったのだ。その後数年間,10月のオゾン濃度は低下し続けた。

 この気がかりな事実は1984年に公表されたが,その年の10月のオゾン層濃度は1960年代の平均よりも約35%低い水準になっていた。米国の地球観測衛星「ニンバス7」もこれをすぐに再確認し,南極上空のオゾンホールは広く知られるところとなった。
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原文はNASのBeyond Discoveryでご覧になれます。
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