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BEYOND DISCOVERY
日経サイエンス
■オゾン層の破壊
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1. オゾン層の破壊
2. 原因は何か
3. 2つの顔をもつオゾン
4. 地球の大気を探索する
5. CFC研究が本格化
6. 犯人は化学物質
. オゾンホールの出現
8. 相次ぐ証拠
9. 災厄は遠のいた
10. クレジット
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BEYOND DISCOVERY
THE PATH FROM RESEARCH TO HUMAN BENEFIT
■CFC研究が本格化
 CFCが開発されたのはおよそ65年前,安全な冷媒として使える無害な物質を探している過程で見つかった。その1つが米デュポン社が開発した「フレオン」(商標名)だ。家庭用冷蔵庫の液体冷媒としてはアンモニアが一般的だったが,すぐにフレオンが取って替わった。自動車エアコンの冷媒でもフレオンが主流になった。

 1950~60年代,CFCはエアロゾルスプレーの噴射剤やプラスチック製造過程,電子部品の洗浄剤など幅広い用途で使われるようになった。こうした需要の高まりで,世界全体のCFC使用量は6~7年ごとに倍増した。1970年代初めには,産業界は年間約100万トンのCFCを使うようになった。

 しかし,CFCが大気に悪影響を与えることは少なくとも1960年代末の時点まで,まったくわかっていなかった。科学者たちの関心が薄かったからではなく,研究手段がなかったからだ。CFCのような大気中の微量化学物質を調べるには,従来にない高感度の検出機器が必要だった。

 こうした検出機器を開発して大気中のCFCを初めて検出したのは英国の科学者ラブロック(James Lovelock)だ。1970年,CFCの一種であるCFC-11が大気中に60pptの濃度で含まれていると報告した。参考までにいうと,メタン(天然ガス)の大気中濃度はCFC-11の2万5000倍もある。20年前なら,大気中のメタンを検出しただけでも画期的な成果だった。

 ラブロックはロンドンの方角からアイルランドに飛来する大気を採取し,すべての試料からCFC-11を検出した。これは意外な結果ではない。CFCは主にロンドンのような大都市で消費され,大気に放出されていたからだ。しかし,ラブロックが検出したCFC試料の中には北大西洋の沖合から飛来したものもあった。北大西洋は大都市で発生する汚染物質の影響を受けていないはずだった。

 ラブロックは予想外の発見の原因を突き止めようと,さらに研究を進めた。英国から南極へ向かう船に検出器を載せる計画を立て,英国政府に少額の資金援助を求めた。しかし,政府の査定担当者は「測定が仮にうまくいったとしても,CFC-11の大気中濃度という役に立たない知見が1つ増えるだけで,あまり価値があるとは思えない」と,この要求を拒否した。

 だが,ラブロックはひるまなかった。1971年,自腹を切って調査船「シャクルトン号」に測定機器を積み込み,その2年後,「北大西洋と南大西洋で採取した50を超える大気試料のすべてからCFC-11を検出した」と報告した。これらの観測結果から,地球規模の大気循環によってCFC-11が運ばれているのだと的確に結論づけた。ただ,ラブロックは当時,CFCが地球環境に有害だとは考えていなかった。この見解はすぐに修正を迫られることになる。
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原文はNASのBeyond Discoveryでご覧になれます。
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