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BEYOND DISCOVERY
日経サイエンス
爆発物から治療ガスへ
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1. イントロダクション
2. 心臓と血圧
3. 爆発性の治療薬
4. 細胞のメッセージに耳を傾ける
5. EDRFの発見
6. EDRFと一酸化窒素がつながる
7. 一酸化窒素の広がり
8. 将来の治療
9. クレジット
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BEYOND DISCOVERY
THE PATH FROM RESEARCH TO HUMAN BENEFIT
■EDRFの発見
 一方,他の方面からも手がかりが蓄積しつつあった。ブルックリンにあるニューヨーク州立大学のファーチゴット(Robert Furchgott)が1950年代に解明に乗り出した問題の1つは,血管拡張が分子レベルで見るとどのような仕組みで働いているのかということだった。ファーチゴットが出発点にしたのは神経伝達物質のアセチルコリンだ。アセチルコリンを動物に注射すると血管が拡張することが知られていた。おそらくアセチルコリンは血管を取り囲む筋肉細胞に弛緩するよう指示し,その結果として血管の径が広がるのだろうと考えられた。アセチルコリンがどのように血管拡張に結びつくのかを明らかにしようと,ファーチゴットは摘出した血管とそれを取り巻く筋肉を使って,研究室でアセチルコリン反応の再現を試みた。摘出組織が延びれば筋肉が弛緩したことを示し,血管は拡張していると考えられるだろう。しかし,アセチルコリンを使うと組織はいつも短くなった(筋肉は弛緩せず,収縮した)。これは奇妙だったが,ファーチゴットはとりあえずこの疑問に深入りしなかった。
 
 何年もたった後に,ファーチゴットはいくつかの化学物質について血管弛緩剤としての効果を比較する実験を計画した。アセチルコリンに似たカルバコールという化学物質を使ってまず血管を収縮しておき(先の実験でアセチルコリンは奇妙なことに収縮剤として働いたので,カルバコールにも収縮効果があると考えられた),3種類の薬剤について弛緩効果を観察する手はずだった。
 
 ファーチゴットは助手のデビッドソン(David Davidson)に実験手順を詳しく指示した。実験の前段階として,組織が的確に反応することを確かめる。まず神経伝達物質のノルアドレナリンによって組織が収縮することを確認し,次に食塩水でノルアドレナリンを洗い落とし,今度はカルバコールによる収縮を確認する。再び食塩水で洗浄してカルバコールを除去し,本番の実験に移る。実験は1978年5月5日に予定された。ところがデビッドソンはたまたま最初の洗浄作業を忘れてしまった。用意された血管はノルアドレナリンによって収縮したままだったが,そこに彼はカルバコールを加えた。すると,血管はさらに収縮するのではなく,弛緩した。
 
 ファーチゴットはさまざまな化学物質で何度も処理された血管にアセチルコリンやカルバコールを添加した経験があったが,その場合はいずれも収縮し,弛緩した例はなかった。以前の実験と今回とで唯一違うのは,今回はひも状ではなく“リング状”の血管を使った点だ。ファーチゴットは先の予備実験でアセチルコリンによって弛緩したリング状の血管をひも状に切断し,再びアセチルコリンを加えてみた。腹の立つことに,ひも状血管のあるものは弛緩し続け,いくつかは収縮した。しかし彼はある事実に気づいた。収縮したひも状血管の場合,初めに切断した際に縮れ上がったので,いくつかの操作を加えていたのだ。おそらくこの操作が何らかの損傷を与えたのだろう。
 
 予想通り,ひも状血管の内面をこする操作をすると,アセチルコリンを加えても弛緩しなくなった。ファーチゴットはひも状の試験片を準備する際に,何か重要なものが拭い去られてしまったのだと気づいた。試験片を準備する際にはいつも,切片を指でつまんで開くという入念なやり方をしていたが,これが原因だった。
 
 ファーチゴットは失われたのが血管の内側を覆っている内皮細胞であることを1980年に実験で示した。内皮細胞のついた血管と内皮細胞を除去した血管を重ね,これにアセチルコリンを加える実験をしたところ,どちらの層も弛緩したのだ。アセチルコリンが内皮細胞にセカンドメッセンジャーを作るよう指示していると考えられた。ファーチゴットはこのセカンドメッセンジャーを「内皮細胞由来弛緩因子」,その頭文字をとってEDRFと名づけた。このEDRFが血管の周囲にある筋肉細胞に弛緩を指示している。
 
 EDRFが存在することはわかったが,ファーチゴットはこの物質を分離・特定できなかった。しばらくの間,EDRFは「内皮細胞をアセチルコリンで処理した際にできる物質」と定義されるにとどまった。一方,科学者たちにとって一酸化窒素もやはり化学的・医学的に奇妙な謎のままだった。なぜ,身体はこの気体に反応する仕組みを備えているのだろうか?
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原文はNASのBeyond Discoveryでご覧になれます。
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