現代の通信
1. 現代の通信─レーザーと光ファイバーの技術革新
2. インターネットで救命
3. 可視光を使うか?
4. 20世紀の物理学
5. 半導体レーザー
6. 光ファイバーの登場
. 実用システムの開発
8. 光通信の活躍
9. 活発に続く基礎研究
10. クレジット
20世紀の物理学
 レーザーの登場につながった研究のおおもとは,量子力学と呼ばれる物理学の一分野だ。1900年,プランク(Max Planck)は励起した原子が放出するエネルギーは「量子」と呼ぶ離散的な値をとり,それまでの電磁放射理論が想定していた連続的な値にはならないとの仮説をたてた。プランクはこの考え方を追究しなかったが,アインシュタインは5年後にそれを発展させ,光が波ではなくて,エネルギーの粒(後に光子と名づけられた)からできていると提唱した。光の周波数が高いほど,光子のエネルギーが大きくなるという考え方だ。ある条件下で電子が光子のエネルギーをいかに吸収・放出するかを理論づけ,光電効果と呼ばれる現象(物体に可視光が当たると電子が飛び出してくる現象)を説明した。これが彼のノーベル賞受賞につながった。

 しかし,光を粒子と考えるアインシュタインの理論を支持しない人たちもおり,議論は数十年にわたって続いた。ただ,物理学者たちが光が波と粒子の両方の性質を持っているという結論にたどりつく前に,アインシュタインは別の現象も見つけた。ボーア(Niels Bohr)が1913年に一連の論文で示した原子モデルによれば,電子はエネルギーレベルに応じて原子核の周りで特定の軌道を占める。ある軌道から別の高エネルギーの軌道へ移る場合,電子はそれに合致したエネルギーしか吸収せず,低い軌道に落ちる時にもある特定のエネルギーしか放出しない。ネオンなど特定のガスの原子が固有の波長の光しか出さず,水銀やナトリウムなどの放電ランプが独特の色をしているのも,これによって説明がついた。

 励起状態にある原子(電子が高いエネルギーの軌道にある原子)はやがて自然にエネルギーを放出して,基底準位という最も低いエネルギーレベルに落ちる。この「自然放出」は無秩序に起こり,放出される光子もばらばらの方向に出てくる。アインシュタインは,励起状態の原子がちょうど良いエネルギーの光子に出合うと(高低のエネルギー状態の差にぴったり合致したエネルギーの光子に出合うと),光を放出する一種の連鎖反応が起きて,光の強度が強まると考えた。やってきた光子を電子が貪欲に捕らえて,それまでに貯め込んだものを一挙に放出する。しかもこの時に放出される光子は,やってきた光子と同じ方向に出ていく。「誘導放出」と呼ばれる過程だ。

 誘導放出による光の増幅は,励起状態にある原子の数が基底状態にある原子よりも多い場合にだけ起きる。これは自然な状態とはまったく逆で,誘導放出を起こすにはすべての原子を励起状態に人工的に押し上げて,いわゆる反転分布の状態にする必要がある。普通は光を当てて励起する。

 話は1951年に飛ぶ。コロンビア大学放射研究所所長のタウンズ(Charles Townes)は第2次世界大戦中に始めたマイクロ波物理の研究を続けていた。タウンズはマイクロ波のスペクトル分析に取り組んでおり,波長が1mmを切るサブミリ波を使いたいと考えた。しかし,そのためにはセンチメートルレベルのマイクロ波発生に利用していた機械的な振動子をもっと小型にする必要があり,とても無理に思えた──分子の利用を思いつくまでは。

 その後2年間,タウンズはゴードン(James Gordon)やザイガー(Herbert Zeiger)とこうしたシステムづくりに取り組み,1953年,ついに研究成果の実演にこぎ着けた。彼らはアンモニアのビームを電界に通し,低エネルギー状態の分子を偏向させる一方,高エネルギーの分子だけが別の電界に到達するようにした。2つ目の電界では高エネルギー状態のアンモニア分子すべてがほぼ一斉に基底状態に落ち,同じ周波数で同じ方向に向かうマイクロ波光子を放出した。タウンズはこの装置を「誘導放出によるマイクロ波増幅」の英語の頭文字をとって「メーザー(maser)」と呼んだ。タウンズがメーザーの実験を進めるにつれ,もっと波長の短い赤外線や可視光でも誘導放出が起こりうることがわかってきた。この装置は「レーザー(laser)」と名づけられた。この言葉の最初の文字「l」は光(light)のlだ。レーザーの理論をさらに精緻に発展させるため,タウンズはベル研究所にいた義弟の物理学者シャーロー(Arthur Schawlow)と共同研究した。

 1958年の後半にタウンズとシャーローの論文「赤外線と光学メーザー」が有力物理学誌のPhysical Review誌に出た。この論文がきっかけになって科学者がレーザーづくりに乗り出し,1960年,ヒューズ・エアクラフト社の研究所にいたメイマン(Theodore Maiman)が人工のルビーを使ってそれに成功した。

 レーザーは他の光源と違って細いビームに絞り込めることもあって,たちまち大きな関心を集めた。1962年に行われた実験では,直径30cmほどのレーザー光線を月に向けて発射し,約40万km離れた月面でも3kmほどにしか広がらないことが示された。通常の光なら同じ距離まで行くと直径が4万kmにも広がってしまう。マスコミはこの新技術を熱心に取り上げ,「幻想的な光」と書き,新時代の先駆的技術ともてはやした。映画はレーザーを破壊兵器として描いた。ジェームスボンドが登場するスパイ映画「007ゴールドフィンガー」が代表例だ。科学者たちはレーザーが通信などの分野に極めて有望とみて,その方向を目指した。

 現実には,レーザーがその期待に見合うようになるまでにはかなりの時間がかかった。レーザーを発生するには反転分布を作り出す必要があり,それにはいわゆる光ポンピングが必要だ。励起光源にはフラッシュランプなどを利用するが,これだと連続的な光線ではなく断続的なパルス光しかできず,エネルギー効率も低かった。その後1960年になって,ベル研究所のジェイバン(Ali Javan)がガラス管にヘリウムとネオンのガスを詰め,それまでとはまったく違ったタイプのレーザーを開発した。このレーザーはエネルギー閾値が低く,過熱もしなかったが,ガラス管はかさばり,こわれやすかった。ラジオやテレビ,最初のコンピューターには真空管が使われていたが,初期のレーザーは真空管に似ていた。1960年には,真空管ははるかに小さくて信頼性の高いトランジスタに道を譲ろうとしていた。レーザーも同じ道をたどるのだろうか?
   
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