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BEYOND DISCOVERY
日経サイエンス
人工内耳の進歩
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1. イントロダクション
2. 黎明期
3. 内耳が音を認識する仕組み
4. 耳が聞こえなくなるわけ
5. 人工内耳技術の発展
6. 蝸牛は脳に何を伝えるのか
7. 聴神経が壊れると…
8. 有毛細胞の働き
9. 内耳が発する音
10. 補足記事
人工内耳と聴覚障害者の文化
11. 補足記事
難聴の5大原因
12. クレジット
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BEYOND DISCOVERY
THE PATH FROM RESEARCH TO HUMAN BENEFIT
 静寂からの音
 人工内耳の進歩
■ イントロダクション
 49歳のジョージ・ガルシア(仮名)がある朝起きると,世界は沈黙していた。一夜にして耳が聞こえなくなったのだ。ガルシアは以前に海軍で航空機発着係を務めており,ジェットエンジンのごう音を何千回も耐えてきた年月に,急性感染症が重なった結果のようだった。
 医師はガルシアに,聴覚は完全に失われており,回復の見込みはなく,補聴器も役に立たないだろうと告げた。ガルシアは重度のうつ状態となり,酒におぼれるようになった。酒を飲んでも心痛は紛れず,3回にわたって自殺を図った。
 
 牧師をしている息子の助けにより,ガルシアはようやくうつ状態から立ち直り,音のない世界で生きていくという現実を受け入れた。手話と読唇術を習い,聴覚障害者のコミュニティーで友人をつくった。酒を断ち,教会で積極的に活動するようになった。そして聴覚を失ってから6年後,ガルシアに新たな希望が生まれた。開発されたばかりの人工内耳(移植蝸牛刺激装置,蝸牛インプラント)を試す被験者にならないかと誘われたのだ。
 
 復員軍人庁の研究者たちはガルシアに,人工内耳は普通の補聴器よりもはるかに精巧なものだと説明した。補聴器は音を増幅し,まだ聴覚が残っている人を助ける。これに対し人工内耳は蝸牛の働きを代行する装置だ。蝸牛はカタツムリの形をした器官で,音のエネルギーを神経インパルスに変換し,そのインパルスを脳に送る働きをする。人工内耳はガルシアのように耳がまったく聞こえなくなった人々(生まれつきの場合も含めて)の聴覚を回復できると期待された。
 
 ガルシアはこのチャンスに飛びついた。1988年12月に外科手術を受け,左耳の後ろの側頭骨に送信器を埋め込むとともに,蝸牛のうず巻きに6本の電極を通した。手術から1カ月,ガルシアは期待と不安を胸に回復を待った。そして肝心の体外装置が取り付けられた。集音マイク,聴神経が認識可能な信号へと音を変換するスピーチプロセッサー,この信号を人工内耳に送る送信器からなる装置だ。
 
 装置を付けるとすぐに音が聞こえ,ガルシアの期待と不安は歓喜に変わった。最初のうちはとても機械的に聞こえたが,練習に励んだ結果,会話がだんだん普通に聞こえるようになった。目覚めている間はずっとスピーチプロセッサーを装着した。読唇術では2音節の単語のうち正確に認識できるのは45%だったが,いまや94%を正確に聞き取れる。人工内耳のおかげで,ガルシアは普通の生活ができるようになった。テーブルの端に座って誰からも声をかけられなかったのが,仲間とともにテーブルを囲んで会話に参加できる。猫がニャアと鳴き,犬がワンと吠え,孫娘が「おじいちゃん」と呼ぶ声も聞こえる。
 
image1 現在では世界で1万8000人が人工内耳を使っており,この装置はもはや実験段階ではなくなった。しかし,人工内耳は才気に富む1人の発明家のひらめきから生まれたわけではない。物理学や解剖学,神経生理学,情報科学など多岐にわたる分野の何千という研究者が,何世紀にもわたって基礎研究を重ねてきた結果だ。個々の研究者が少しずつ成果を積み重ね,人類に素晴らしい利益をもたらしたのだ。
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