タグ : 朝永振一郎
不確定性原理の再出発
今から約80年前,量子力学の創始者の1人であるハイゼンベルク(Werner Heisenberg)は,できたばかりの量子力学に基づいて,ひとつの式を提示した。「位置と運動量の両方を正確に知ることは原理的に不可能である」 … 続きを読む
南部さん,西島さんとの60年
南部陽一郎さんと西島和彦さんは学問のうえでも人生のうえでも約60年にわたって深く尊敬する先輩方だ。 私にとって生涯の師は朝永振一郎先生だが,南部さんと西島さんも私にとってかけがえのない存在だ。お二人との思い出を語りたい。 … 続きを読む
対称性の自発的破れとひも理論
南部陽一郎氏が2008年のノーベル物理学賞を受賞した。「小林・益川理論」を提唱した小林誠,益川敏英両氏との共同受賞だが,益川氏は南部氏との共同受賞の感想を聞かれると感極まって絶句した。20世紀半ば,南部氏の歩みは素粒子 … 続きを読む
ニュートリノ研究の原点にあった朝永先生の尽力
世界をリードするようになった日本のニュートリノ研究はカミオカンデが超新星ニュートリノをとらえたことに始まるが,それはそもそも,小柴昌俊氏が1963年,東京大学物理学科の助教授に採用されて研究室を立ち上げ,素粒子研究のた … 続きを読む
特集:湯川秀樹生誕100年 中間子論が拓いた核力の世界
1935年,湯川秀樹は英語で執筆した最初の論文を発表した。湯川は大阪帝国大学の講師で28歳になったばかり。その論文に記されていた「中間子論」によって物理学の世界は変わった。そして,14年後の1949年,湯川にノーベル賞 … 続きを読む
湯川と朝永から受け継がれたもの
湯川秀樹と朝永振一郎。同時期に東京で生を受け,父親の京都大学への赴任により,ともに幼くして京都に移る。そこで少年時代を過ごし京都大学で学んだ。間違いなく2人はあらゆる面で素晴らしいライバルだった。2人は多くの論文や随筆 … 続きを読む
素粒子論はどこに向かうのか?
2006年12月,京都大学で「湯川・朝永生誕百年記念シンポジウム──現代物理学の進歩」が開かれ,4人のノーベル賞受賞者をはじめ内外から多数の理論研究者が集まった。湯川秀樹と朝永振一郎の生誕100年を記念した催しは200 … 続きを読む
ハイゼンベルク先生と統一理論に挑んだ10年
「Heisenberg」。私がハイゼンベルク先生の部屋に電話をかけると,まず耳に入ってくるのが,自分の名前を告げるやや低めのゆったりした先生の声だった。「Nun, was gibt es Neues? (さて,何か新し … 続きを読む
朝永先生に酒を学んだ30年
旧制一高を卒業前の3月,校庭を歩いてたら天野先生(当時の旧制一高の校長,天野貞祐)にばったり会って,「小柴君,何学科に行くことになりましたか」と聞かれたから,「実は(東京大学の)物理学科になりました」と話すと,「ああ, … 続きを読む