きょうの日経サイエンス

2023年10月4日

2023年ノーベル物理学賞:物質中の電子の動きを解析する「アト秒の科学」を切り開いた3氏に

2023年のノーベル物理学賞は「物質中の電子ダイナミクスを研究するためのアト秒パルス光の生成に関する実験的手法」に対して,米オハイオ州立大学のピエール・アゴスティーニ(Pierre Agostini)名誉教授,マックス・プランク量子光学研究所のフェレンツ・クラウス(Ferenc Krausz)教授,スウェーデン・ルンド大学のアンヌ・ルイリエ(Anne L’Huillier)教授の3氏に授与される。

電子は文字通り目にもとまらぬスピードで物質中を移動する。その動きを撮影するカメラがあれば,様々な物理現象の解明や材料開発に役立つ。しかしそのためには,ごく短い時間だけ光る「フラッシュ」が必要だ。フラッシュが光る時間が長いと,その間に電子が動き回ってブレてしまう。

まず,1980年代の後半に原子のレベルで化学反応を捉える手法が登場した。フェムト(10-15,つまり1000兆分の1)秒だけ光るレーザーによって,分子中の原子が結合したり,それが切れたりする様子が観測できるようになった。この業績が評価されてアハメド・ズウェイル(Ahmed Hassan Zewail)氏が1999年にノーベル化学賞を受賞した。

だが,電子の動きを捉えるにはフェムト秒でもまだ長すぎた。古典的な描像では,水素原子の電子が原子核の周りを一周するのに,たった150アト(10-18,つまり100京分の1)秒しかかからない。

1987年,ルイリエ氏は強力な赤外光を希ガスに照射すると,もとの波長の何倍も短い波長をもつ光パルスが連続して発生することを発見した。これを「高次高調波」という。パルスの持続時間(パルス幅)が極めて短いことが期待されたが,このときはまだ波長が極めて短いことしかわからなかった。



原子中に閉じ込められている電子は,レーザ光を照射して一定のエネルギーを得るとトンネル効果によって外に飛び出す。だがレーザー光の電場がフェムト秒周期でシーソーのように振動しているため,いったん外に出ようとした電子が逆向きの電場によって加速され,原子に再衝突する。このときにアト秒のパルス幅を持つ高次高調波が発生する。



2001年に,クラウス氏らはこの高次高調波のパルス幅がアト秒レベルであることを実験で確かめた。具体的には,波長が極めて短い高次高調波のパルスと,波長が比較的長い赤外光を希ガスなどに照射した。高次高調波を照射している間,希ガスから電子が飛び出すが,その際の電子のエネルギーは,赤外光と高次高調波がどのタイミングで重なっているかによって変化する。電子のエネルギーを測定することで,赤外光の振動を物差しにして高次高調波のパルス幅を突き止めた。

アゴスティーニ氏は2001年,繰り返し発生する光パルスが250アト秒のごく短いパルス幅を持つことを実証。ほぼ同時にクラウス氏は高次高調波を発生させる強力な赤外光のパルス幅をきわめて短くすることで,650アト秒の単一の光パルスを取り出すことに成功した。

当初は電子の動きを解析できるのは,希ガスなどの気体分子に限られていた。最近はレーザーの出力などが向上して,液体や固体の試料にも適用できるようになってきた。今後は半導体材料などへの応用が期待されている。材料の性質を決める電子の動きが詳しくわかれば,改良の手がかりが得られる。

この分野には日本人研究者も多く関わっている。技術の黎明期ともいえる2000年代,高次高調波が発生する理論モデルを提唱したポール・コーカム(Paul Corkum)氏のもとで,早稲田大学の新倉弘倫教授や東京大学の板谷治郎准教授の2人が研究していた。2022年には理化学研究所の研究チームが世界で最高出力のアト秒レーザーを開発した。アト秒レーザーは広大な探索空間の中から有望な新材料への道を照らす光になりそうだ。

(編集部・遠藤智之)

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