写真に写った自分の顔がわかる魚〜日経サイエンス2023年10月号より
ホンソメワケベラという魚は自己認識が可能なようだ
ホンソメワケベラは商売熱心な魚だ。きらきら輝く小さなこの魚はサンゴ礁に店を構え,客の魚の寄生虫を食べる。客のなかには大きくて腹をすかせた魚もいるので,完璧な社交術が必要な危険な仕事だ。だから,ホンソメワケベラが他の魚の顔を見分けられるのは不思議ではない。そして米国科学アカデミー紀要に掲載された最近の研究によると,自分自身の顔も認識できる。水槽に鏡を入れて1週間すると,ホンソメワケベラは写真に写った自分を特定できるようになったようだ。実験を行った研究チームは,この結果はホンソメワケベラに自己認識の能力があることを示唆しているというが,この解釈には異論もある。
鏡で学習,4種の写真でテスト
「魚はこれまで考えられていたよりもはるかに賢い」と,この研究論文の上席著者となった大阪公立大学の比較認知科学者,幸田正典(こうだ・まさのり,大学院理学研究科特任教授)はいう。彼のチームは2019年,魚が鏡に映った自分を認識できることを示す初の証拠を発表した。その研究ではホンソメワケベラの喉(のど)に寄生虫に見える印をつけた。この魚は鏡に映った自分の姿を見て,その印を取り除こうと自分の体を岩にこすりつけた。
同様の試験は「考えうるすべての生物」を対象に行われてきたと,加マウントロイヤル大学の認知心理学者モリン(Alain Morin,この研究には加わっていない)はいう。チンパンジーとオランウータンは合格するが,他の動物はほとんど不合格だ。おそらく,この試験課題が多くの生物種が自然に行っている行動とマッチしていないからだろう。
では,ホンソメワケベラはどんな知的技能のおかげで試験をパスしているのか? 幸田らは,鏡で学習したホンソメワケベラが静止画像のなかにある自分の顔を認識できるかどうかを調べた。それぞれの魚に4種類の写真を見せた。自分自身の写真,見知らぬホンソメワケベラの写真,自分の顔に見知らぬホンソメワケベラの体をつなげたもの,見知らぬ顔に自分の体をつなげた画像だ。
ホンソメワケベラは見知らぬ顔の写真に対して攻撃的に振る舞ったが,自分の顔を含む写真には攻撃しなかった。自分の顔をした魚の写真に寄生虫の印がついていた場合,自分の体を岩にこすりつけてその印を落とそうとした。幸田はこの反応が,この魚が自分の写真を見て「これは自分だ」と認識できること,つまり「自己認識」能力があることを示唆していると考える。(続く)
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