2022年10月6日
2022年ノーベル化学賞:クリックケミストリーと生体直交化学の開発で米欧の3氏に
2022年のノーベル化学賞は,任意の有機分子を自在に結合して複雑な分子を簡単に作る「クリックケミストリー」の技術開発に貢献した米スクリプス研究所のシャープレス(K. Barry Sharpless)教授とデンマーク・コペンハーゲン大学のメルダール(Morten Meldal)教授,そしてクリックケミストリーを有毒な触媒を使わずに実現し,生体内で実行できるようにした「生体直交化学」の手法を開発した米スタンフォード大学のベルトッツィ(Carolyn R. Bertozzi)教授に授与される。
様々な機能を持つ分子の合成を目指す化学において,私たちの体内にある生体分子は常にお手本となってきた。生物が作り出す分子の形状をそっくりまねようと,これまでに様々な化学反応の手法が考案されている。しかしそれらは多段階の合成過程が必要で効率が悪かったり,特殊な方法で応用が利かず,ある特定の分子しか作れないという問題があった。
そもそも,欲しいのは生体分子の形ではなく機能だ。シャープレス教授は2002年,ドイツの化学誌Angewandte Chemie誌上において「クリックケミストリー」の概念を提唱した。生体分子の形を忠実にまねるのをやめ,すでに一定の機能や形を持った既存の分子同士を単純にくっつけることで,欲しい機能を実現しようという考え方だ。建築に例えるなら,木の柱や梁を組み上げて家を建てるのではなく,既にできている部屋のパーツを積み木のように左右上下にくっつけて家にするイメージだ。
その後,シャープレス教授は分子同士を簡単にくっつけるための具体的な方法を発見した。まず,くっつけたい2つの分子に,それぞれ「アジド基」と「アルキニル基」という官能基をつける(下図の1,官能基のついた分子はそれぞれ「アジド」「アルキン」と呼ばれる)。これがいわば,シートベルトの差し込みと受けの役目を果たす。両者の距離が近づけばカチッとつながり,強固な共有結合によって1つの分子になる(下図の2と3)。このとき,シャープレス教授とは別に研究を進めていたメルダール教授も全く同じ方法にたどりついていた。
2人が発見した反応は,化学反応を進めるのにしばしば必要になる高温や高圧,特殊な有機溶媒などが不要だ。アジドとアルキンがついた分子を水中に混ぜておくだけで反応が進行し,不要な副産物もほとんど生成しない。アジドとアルキンはそれぞれ構造が不安定で,これらが結合したトリアゾールの方が安定しているため反応は一方向に進み,一度結合したらまず離れない。
ただ,2人の見つけた反応を進めるには,銅イオンの触媒が必要だった。銅イオンは生体にとって有毒なので,この反応を体内で実行することはできなかった。ベルトッツィ教授はこの問題を解決した。アルキンを分子の中に組み込んで歪ませることで不安定性を高め,触媒がなくてもアジドとの結合反応が進むようにしたのだ(下図)。この方法で生体内でアジドとアルキンの結合反応を起こすことが可能になり,薬に応用する道が開けた。
ノーベル財団のプレスリリースを一部改変
たとえばがん細胞の表面にアジドを含む糖鎖を生成し,そこにアルキンを有する抗がん剤を結合すれば,がん細胞を殺すことができる。病気に関連する細胞を認識する抗体と治療薬を結合させれば,細胞に薬が作用する薬物送達システム(DDS)が実現できる。
ベルトッツィ教授は,がん細胞が免疫の監視を逃れる「隠れみの」となる糖鎖を細胞表面に生やしていることを発見。生体直交化学の手法でこの糖鎖を認識する抗体と糖鎖の分解酵素を結合し,新たな抗がん剤を開発した。異なる機能を持つ2つの分子を結合させることで,抗がん剤という新たな機能性分子が生まれたのだ。現在,この抗がん剤の臨床試験が行われている。
現在,クリックケミストリーと生体直交化学は既に新たな機能性分子を合成する基本ツールの1つとなっている。これらのツールから生まれた分子が新薬や新素材となる日は,そう遠くないだろう。
出村政彬・古田彩
▼詳しくは日経サイエンス2022年12月号(10月25日発売予定)でもご紹介いたします。
ご予約は下記オンライン書店,またはお近くの書店・日経新聞販売店にて
・Amazon
富士山マガジンサービス限定:月額払い初号2冊半額キャンペーン開催中