オスグモの緊急脱出ジャンプ〜日経サイエンス2022年10月号より
パートナーに食われないよう交尾後に素早く跳び離れている
一部のクモにとって,愛とは自分のすべてを捧げることだ。多くの種が「性的共食い」という恐ろしい行動を示し,メスが交尾後に相手のオスを食べる。栄養補給のため,あるいは生殖の選択肢を広げるためだと考えられている。
メスのクモは一般にオスよりもはるかに体が大きく,身体能力で優位に立っている。だがCurrent Biology誌に報告された最近の研究は,一部のオスがメスからどのように身を守っているかを明らかにした。円形の巣をかけるクモの一種,マツガエウズグモ(Philoponella prominens)のオスは,前脚の関節にためたエネルギーを使って跳び上がり,すさまじい食欲のメスからほんの一瞬で逃げることができる。「私はクモの生殖行動を13年間研究してきたが,この緊急脱出ジャンプを最初に見たとき,すごいことを発見したと思った」と,研究論文の筆頭著者となった中国・湖北大学の行動生態学者チャン(Shichang Zhang)はいう。
前脚のカタパルトで緊急発進
これらのクモは多数の巣が連結した集合住宅のような複合体に200匹以上が共同生活している。たくさんの独身オスが歩き回っているので,メスがこれを数匹食べても何の差し支えもない。一方のオスは交尾後のおやつにされるのを避けるため,事がすんだらすぐに逃げる必要がある。研究チームは交尾中のオスが前脚を折りたたんでメスの体に当てていることを発見した。交尾が終わるとすぐに,脛節(けいせつ)と跗節(ふせつ)をつなぐ関節に蓄えた体液の圧力を使って脚を伸ばし,これをバネに自分の体を勢いよく打ち上げる。
オスはあっという間に跳び離れるので,通常のカメラではこの行動をとらえられない。そこで研究チームは北京の広告会社が保有する特別な高速度カメラを使って交尾中のクモを撮影した。その劇的な脱出劇を毎秒1500コマで撮影した結果,体長3mmのクモが秒速88cm近くでジャンプしていることがわかった。「身長180cmの男が秒速530mで跳び出すのを想像してほしい」とチャンはいう。「このオスグモはそれと同じことをやっている」。この軽業師は単に跳び上がるだけでなく,8本足のコマとなって毎秒平均175回転している。
最初に記録した155組のつがいのうち,152匹のオスが脱出に成功して生き延びた。残り3匹は跳び上がれず,すぐに食べられてしまった。実験のためにジャンプできないよう細工されたクモも食われた。
脱出したオスは驚くほどいちずだ。交尾の間,自分が締める“命綱”となる糸の端をパートナーにつないでおき,緊急脱出の後,この命綱をたどって同じメスと再び交尾した。授精の成功率を高めるこのサイクルを6回まで繰り返す例が確認された。(続く)
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