細菌のエピジェネティクス〜日経サイエンス2022年7月号より
真核細胞と同様の遺伝子調節機構が存在,病原菌を抑える新たな手段にも
DNAはひどく絡み合った問題を抱えている。A,T,G,Cの塩基が複雑に配列したこの糸の長さは細胞本体の何千倍にもなるので,細胞に収まるには自らをコンパクトに折りたたまなくてはならない。だが,この細い二重らせん分子を雑然と押し込めるわけにはいかない。それではゴチャゴチャにもつれ合ってしまうからだ。さらに,細胞内のタンパク質合成装置がこの糸の特定の部分(遺伝子)にアクセスできるようにしつつ,他の部分の遺伝子は隠してスイッチを切っておく必要がある。これはまるで,絡まった毛糸玉でテトリスをするようなものだ。
ヒトを含む動植物の細胞は内部に明確な核を持つ「真核細胞」で,どの遺伝子のスイッチをいつ入れるかを指令するために,化学分子の標識と特別なタンパク質の間の複雑な相互作用を用いている。エピジェネティクスと呼ばれる仕組みだ。科学者は何十年も前から,このエピジェネティックな調節は真核細胞に特有であって,細菌などの単純な細胞(原核細胞)には存在しないと考えてきた。だが近年の一連の新発見によって,この見方に異議が唱えられている。「細菌は皆が考えていたよりもずっと精巧だ」とカリフォルニア大学サンタバーバラ校の微生物学者ロー(David Low)はいう。
ミシガン大学の生化学者ジェイコブ(Ursula Jakob)とフレドリーノ(Peter Freddolino)は,細菌において,DNAに結合する一連のタンパク質と,細菌が古代から利用してきた「ポリリン酸塩」という分子が相互作用することを通じて,広範な遺伝子のスイッチが切り替わっていることを明らかにした。この発見は細菌の基礎生物学に関する知見にとどまらず,バイオ医薬品などの製造に用いる遺伝子組み換え細菌の微調整に役立つ可能性がある。さらには,新しい抗生物質の開発に寄与するかもしれない。「細菌は必要に応じて自らを破壊するための遺伝子を持っており,通常はそのスイッチを切っているのだが,この抑制を外すことができるかもしれない」とフレドリーノはいう。(続く)
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