飢餓を生き延びるための変異〜日経サイエンス2022年5月号より
食物が乏しいときには小柄なほうが有利
100万年前,ある遺伝子に生じた小さな変異が当時の人類に大きな利点をもたらしたようだ。Science Advances誌に掲載された最近の研究は「成長ホルモン受容体遺伝子」という重要なDNA配列に生じた変異が,食物の乏しい時代に身体サイズを小さくすることなどによって,人類を飢餓から守ったことを示唆している。この変異はホモ・サピエンスとその近縁種に広がり,現在でも多くの人が保有している。ただし,約4万年前から特に東アジアとユーラシアでその頻度が急減している。
今回の研究論文の筆頭著者となったバッファロー大学の人類学者ゴキュメン(Omer Gokcumen)によると,GHRd3というこの変異遺伝子はすでに以前の研究によって,出生時の低体重や性的早熟など,食物不足の際に有利となる形質と関連づけられてきた。だがゴキュメンらのチームは,この変異が人類進化に果たした役割をもっと正確に知りたいと考えた。
マウスの遺伝子を改変して比較
詳しく調べるため,研究チームはマウスを初期人類の類似体に作り替えた。遺伝子編集ツールのCRISPR-Cas9を用いて,マウスの成長ホルモン受容体遺伝子の一部配列を削除し,GHRd3変異遺伝子に似たものに変えた。この改変マウスは,通常の餌を与えて育てた場合には普通のマウスと特に違いはなかった。だが,ごくわずかな量の餌で育てた場合,この改変遺伝子を持つオスは同量の餌で育てた遺伝子改変していないオスよりも体が小さくなった。研究チームはまた,栄養不良状態で育った現代の人間の子供176人を調べ,GHRd3遺伝子を持つ子は男女とも栄養不良に伴う症状が軽いことを見いだした。
これらの結果から,GHRd3遺伝子が長く存続してきた理由を説明できるだろう。おそらく食物資源が乏しい時代には体が小さいほうが有利だったのだと研究チームはみる。だが,食物が豊富な時代には体が大きいほうが勝ち残った。だから変異遺伝子を持つことの費用対効果は入手できる食物資源によって決まり,資源量の変化によって集団中の頻度が左右されたのだろう。「この変異遺伝子は一長一短なのだ」とゴキュメンはいう。「1日の摂取カロリーが1000kcalに限られる場合には,アーノルド・シュワルツェネッガーのような大男よりも私のほうがずっとうまく生きていけると思う」。(続く)
続きは現在発売中の2022年5月号誌面でどうぞ。