2021年10月6日
2021年ノーベル物理学賞:気候変動モデルの構築と温暖化予測で真鍋淑郎氏ら2氏, 乱雑でフラストレーションがあるシステムの解明で伊パリージ氏に
2021年のノーベル物理学賞は地球規模の気候変動モデルを構築し温暖化予測に貢献した米プリンストン大学上席研究員の真鍋淑郎氏とドイツのマックスプランク研究所のハッセルマン(Klaus Hasselmann)氏,複雑系における隠れた秩序を明らかにしたイタリアのローマ・ラ・サピエンツァ大学のパリージ(Giorgio Parisi)氏の3氏に授与される。
気候モデルの開発と温暖化予測への貢献
コンピューター上で地球全体の気候をシミュレーションする「気候モデル」の計算プログラムは,気候変動の問題を議論するうえで欠かせないものになっている。二酸化炭素の排出量が今のペースで続くと100年後の地球環境はどうなるのか。異常気象の発生にはどの程度人為的な経済活動が関係しているのか。こうした問いに答えようとしても,全球規模の気候の変化を実際に実験することは不可能だ。コンピューターの中にもう1つの地球環境を作りだし,そこで様々な条件のシミュレーションを繰り返しながら観測結果と比較することで,初めて私たちは気候変動を定量的に分析できるようになる。真鍋氏は1964年に気候モデルの基礎を確立し,その後数十年をかけてモデルの発展に尽力してきた。また,ハッセルマン氏は観測された地球温暖化が人間の経済活動のせいで起こったのかどうかを評価する統計的手法を開発した。
気温は高度によって大きく変化する。地表の平均温度は15℃だ。上空に行くほど空気の温度は下がるが,高度10000m以上の成層圏になると一定になり,さらに上空では再び上昇に転じる。しかし1960年代当時,どうしてこうした大気の温度分布が起こるのかはまだよくわかっていなかった。
真鍋氏らは1964年の論文で,大気が水平方向には均質だと仮定し,地面から上空までの鉛直方向の温度分布を調べる気候モデルを考案した。このモデルでは,太陽の熱や地面から放射された熱が大気の中で伝わる過程に加え,大気の対流やCO2による熱の吸収などを計算に取り入れた。その結果,真鍋氏らの気候モデルによるシミュレーション結果は実際の大気の温度分布を正確に再現した。さらに大気中の気体の成分を変えてシミュレーションを行うことで,成層圏で上空ほど気温が高いのは,オゾンの太陽熱吸収が関わるためだと明らかにした。
また,真鍋氏らは1967年に大気中の二酸化炭素の濃度を変えたシミュレーションを行い,CO2の濃度が2倍になると約2℃気温が上がることを示した。1958年には米スクリップス海洋研究所のキーリング(Charles Keeling)氏らがハワイで大気中のCO2濃度の連続観測を開始しており,当時既にCO2濃度の増加は実際の観測で明らかになりつつあった。岡山大学教授で,気候モデル研究に取り組んできた野沢徹氏は「CO2が増えた時に気候にどんな変化が起こるか,そのエッセンスを非常にうまく取り出した,画期的な研究だった」と説明する。
1970年代以降,真鍋氏らは一次元だった気候モデルを三次元へと拡張。さらに海洋の影響を加味した気候モデルも開発した。
真鍋氏らは1967年の論文で,地球大気の二酸化炭素の濃度が2倍に増えると気温が約2℃増加することを示した(image: ノーベル財団のプレスリリースを一部改変) |
また,ハッセルマン氏は同時期に,気候モデルのシミュレーション結果と実際に起きた地球温暖化の観測結果を突き合わせ,その温暖化が「人間の経済活動の影響が無ければ起こりえないものであったかどうか」を判定する統計手法を開発した。
CO2の濃度上昇で温暖化が起こっており,そこには人間の行動が影響しているという見方は,気候モデルや経済活動の影響を調べる統計手法の精度が高まるなかで,研究者の間で次第に揺るがないものとなっていった。このことが1988年の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の設立や,その後のさらに精緻な気候モデルの研究の原動力となった。真鍋氏は1990年のIPCC第一次評価報告書の執筆責任者の1人となっている。
ノーベル物理学賞に環境科学の分野が選ばれるのは初めてだ。今年8月に公表されたIPCC第6次評価報告書の主執筆者の1人である国立環境研究所地球システム領域副領域長の江守正多氏は,「気候変動の議論の基になっている科学が,物理学として基礎づけられたものであるということが社会に伝わるきっかけになる」と話す。
真鍋氏らの最初の論文から半世紀以上がたった今も,気候モデルは発展中だ。衛星観測技術の向上で,現実の観測から得られるデータは以前より解像度が高まり,その種類も増えてきた。微小な塵が核となっている雲の振る舞いなど,依然としてシミュレーションが難しい要素もある。現実の地球環境と合致する,より精緻な気候モデルの研究が続けられている。
乱雑でフラストレーションがあるところに何が起きるか
一見乱雑なシステムに,実は規則性が潜んでいる。伊ローマ・ラ・サピエンツァ大学のパリージ教授はそれを定量的に明らかにし,統計力学をはじめ情報工学や生物学など幅広い分野に影響を与えた。
鉄のような強磁性体においては,原子1個1個が持つ微小な磁石であるスピンの間に強い相互作用が働く。そのため鉄の中のスピンは,すべて同じ方向に向こうとする。だが非磁性の銅の中に鉄を少しだけ混ぜると,鉄原子の間の相互作用は同方向が安定になったり,逆方向が安定になったりと原子間の距離に応じて変化する。このような状態を「スピングラス」と呼ぶ。
スピングラス |
スピングラスにおけるスピンどうしの関係は,こちらを立てればあちらが立たずで,すべてのスピンにとって心地よいような,安定なスピンの方向パターンは存在しない。スピン間にこのようなフラストレーションが存在する場合,最終的にどんなパターンが生じうるか。これを解き明かす際の鍵となったのが,パリージ教授が発見した「レプリカ対称性の破れ」とよばれる概念だ。
この見方にもとづいて解析をすすめると,スピングラスには「安定ではないがその状態にとどまってそれ以上動かない」という,準安定なパターンがいくつも存在することがわかる。さらに準安定なパターンがどれも同等に生じうるのではなく,例えば系の温度を下げていった場合,パターンの現れ方に一定の法則性があることも明らかになった。
多数の要素の間にフラストレーションが生じているシステムは少なくない。活動電位がオン・オフするニューロンによる脳神経回路や,それを模した人工知能のニューラルネットワーク,たんぱく質の複雑な折りたたみ,セールスマン巡回問題に代表される組み合わせ最適化問題など,さまざまな場面で同様の状況が起きている。
「レプリカ対称性の破れを通して対象を眺めると,ランダム性のある様々な現象の本質を取り出すことができる。情報科学、生物学、社会科学など幅広い分野に大きなインパクトを与えた」と,東京大学の樺島祥介教授は話している。
(出村政彬,古田彩)
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2017年4月号「気候変動陰謀論はばかげている」 R. ピアハンバート
別冊日経サイエンス240『気候大異変』
別冊日経サイエンス231『アントロポセン 人類の未来』