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ゲノムで探るデニソワ人の足跡~日経サイエンス2021年9月号SCOPEより

今年に入って,捉えどころの少ないこの人類の謎はさらに深まっている

 

 それは爪より小さな小指の骨だった。その後の数年ですっかり人類進化研究の様子を変えた「張本人」である。

 今から11年前の2010年,「シベリアからの異邦人」とNature誌のニュースで紹介されたのは,南シベリアのデニソワ洞窟から掘り出された人骨のミトコンドリアDNAを調べ,これまで知られていなかったヒトの種の存在を確認した4ページの短いレター論文だ。著者は古代人類ゲノム研究を創始したマックス・プランク進化人類学研究所のペーボ(Svante Pääbo)らである。デニソワ人のささやかな登場だった。

 ペーボらはもともとネアンデルタール人の解析で知られていた。2010年5月に,ネアンデルタール人の全ゲノムを調べて「アフリカ以外の現生ホモ・サピエンスの遺伝子の2%はネアンデルタール人由来の遺伝子」と発表した。つまり彼ら旧人が私たちホモ・サピエンスと交わっていたことを明らかにしたわけで,世界的なセンセーションを巻き起こした。さらに同年12月,ペーボらはデニソワからの指の骨の核ゲノムを詳しく調べ「東アジア人で0.2%,ニューギニアなどのオセアニア人だと2~4%の遺伝子がデニソワ人由来である」と明らかにした。現生人類は,ネアンデルタール人との「結婚」に続いてデニソワ人とも契りを結んでいたことになる。

 

MPI for Evolutionary Anthropology

 

ゲノムでわかるデニソワ人の「暮らし」
その後も彼らの暮らしていたデニソワ洞窟で詳細な調査が続けられ,2021年6月にその結果がNature誌に発表された。ドイツ,オーストラリア,ロシアの研究グループはデニソワ洞窟の堆積物から層別に約700点のサンプルを採取。そこからミトコンドリアDNAを抽出して,どの種のヒトに属するものかを詳細に調べ,時代ごとの洞窟の「主」が誰であったかを明らかにした。

 どうしてこうした研究が行われたのか。デニソワ洞窟からはこれまでに2000点以上の骨片が見つかっているが,実はその全てがデニソワ人というわけではない。たとえばDenisovan 11と名付けられた長さ2cmほどの骨の断片は,9万年前ごろの13歳以上の女性のものと見られていた。そのゲノムを調べたところ,遺伝的な構成は,38.6%がネアンデルタール人由来,42.3%がデニソワ人由来であることが2018年にわかった。もともと両親がどちらもネアンデルタール人とデニソワ人の交雑個体であるという可能性もあったが,解析の結果,この女性はネアンデルタール人の母親とデニソワ人の父親の第一世代である可能性が高いとされた。デニーとニックネームが付けられたそうだ。

 こんなことが起こるのは,デニソワ洞窟が様々な種のヒトによって30万年前ごろから使い続けられてきたからだと考えられる。洞窟の「主」を突き止めた今回の報告によれば,最初期の25万年前から17万年前の層からはデニソワ人の骨片が見つかり石器も発見されたが,16万年前から6万年前の層では,ネアンデルタール人,デニソワ人が交互に暮らしたり,両方がいた時期もあったりした。4万5000年前から2万1000年前の層では,1つのサンプルを除いてホモ・サピエンスの骨片だけだった。ヒトの他にも,ハイエナやクマ,マンモスなどのミトコンドリアDNAも見つかった。いろいろな大型動物と共存したのかそれを利用したのかはわからないが,古代人が暮らした環境がほのかに見えて興味深い。(続)

続きは現在発売中の2021年9月号誌面でどうぞ。

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