きょうの日経サイエンス

2019年10月8日

2019年ノーベル生理学・医学賞:細胞の低酸素応答の仕組みの解明で米英の3氏に

酸素はほとんどすべての動物の生命維持に不可欠だ。2019年のノーベル生理学・医学賞は,細胞が周囲の酸素レベルを感知し,それに応答する仕組みを解明した米ジョンズ・ホプキンズ大学のセメンザ(Gregg L. Semenza)教授,英オックスフォード大学のラトクリフ(Sir Peter J. Ratcliffe)教授,米ハーバード大学のケーリン(William G. Kaelin)教授に贈られる。

 

 

身体が低酸素状態になると腎臓がエリスロポエチンというホルモンを分泌して赤血球を増やし,酸素の運搬能力を上げようとする。セメンザ教授はこの反応を制御する分子を探索し,肝細胞を用いた実験で,低酸素状態のときにエリスロポエチン遺伝子を活性化するタンパク質を発見。HIF-1(低酸素誘導因子,hypoxia-inducible factor 1)と名付けた。1995年にHIF-1の遺伝子を同定し,HIF-1αとARNTという2つの転写因子の複合タンパク質であることをつきとめ,これが低酸素感知機構を解明する出発点となった。

 

 

その後の研究で,環境中に酸素が十分にあるときは,細胞内にHIF-1αがほとんどないことがわかった。HIF-1αにはユビキチンという「標識」がついており,これを目印に働くプロテアソームという細胞内の酵素によって分解される。一方,酸素が少ない環境ではHIF-1αにユビキチンが付かず,分解されないため増えていく。だが,細胞がどうやって周囲の酸素環境を感知しているのかは謎のままだった。

 

 

この疑問に答えを出したのが,がんの研究者であるケーリン教授と,泌尿器科医のラトクリフ教授だ。ケーリン教授は,がんが多発する遺伝性疾患フォン・ヒッペル・リンドウ病の患者ではVHLというがん抑制遺伝子に変異があることをつきとめた。さらにVHLが欠損したがん細胞では,低酸素応答に関連する遺伝子が異常に強く発現することを見いだした。一方,ラトクリフ教授は,このVHLとHIF-1αの相互作用が,HIF-1αの分解に必須であることを示した。両教授は2001年にそれぞれ,酸素がある環境下ではHIF-1αがプロリン水酸化酵素によって水酸化され,それによってVHLがHIF-1αに結合し,ユビキチンが付いてHIF-1αの分解に至るという一連のプロセスの全体を明らかにした。

 

 

研究の過程で,HIF-1αには多様な作用があることがわかった。赤血球を増やして酸素の運搬能力を高めるだけでなく,がんの血管新生や浸潤を促進するなどの望ましくない作用もある。近年,免疫に関与していることも明らかになり,「研究がさらに盛り上がっている」と,セメンザ教授の研究室でHIF-1の研究に携わっていた関西医科大学の広田喜一特命教授は話す。今年9月には,プロリン水酸化酵素を阻害してHIF-1αを活性化し,腎性貧血を治療する薬も承認された。「人間に必須の酸素を感知して応答するという非常にファンダメンタルな機能にかかわる仕組みが,極めて幅広い役割を果たしていることがわかった。HIFに関する論文は年間1700本ほど出ており,必ずノーベル賞が出るだろうと思っていた」と広田教授は話している。 (古田彩)

 

 

低酸素の環境では,HIF-1αが分解せず核内に蓄積する。このときHIF-1の一部であるARNTが,低酸素に応答する遺伝子の転写調節領域にある特定のDNA領域と結合する[1]。酸素が普通にあるときは,HIF-1αはプロテアソームによって迅速に分解される[2]。HIF-1αが水酸化され[3],VHLタンパク質がHIF-1αを認識して結合し[4],分解が進む。

image: ノーベル財団のプレスリリースを一部改変

 

詳しくは日経サイエンス2019年12月号(10月25日発売予定)でもご紹介いたします。こちらもどうぞ。

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