磁気記録シャツ〜日経サイエンス2018年4月号より
パスコードの記録やドアの解錠に
公衆の面前で自分が裸であることに突然気づくという古典的な悪夢に,超現代的な展開が加わるかもしれない。節度だけでなくパスコードも失ってしまう恐怖の可能性だ。最近,磁気記録を組み込んだ衣服が開発された。データを保存したり,自動的に扉を開錠したり,身振りで近くのスマートフォンを制御したりできるという。
こうした対話型“スマート衣服”の概念は,ここ2年ほどで注目を集めるようになった。例えばグーグルとリーバイスはスマホを操作できるタッチセンス式のデニムジャケットを作った。こうしたスマート衣服は導電性の糸でできており,たいていは付属の電子装置が必要だ。
ワシントン大学(シアトル)の研究チームはそうした周辺装置を不要にするため,導電性糸のこれまで未利用だった特性を活用した。磁気を帯びうるという特性だ。電気特性も磁気特性も「たいした違いはないと思えるかもしれないが,磁気を使ったほうが断然面白くなる」と,カーネギーメロン大学のコンピューター科学者ハリソン(Chris Harrison,この研究には加わっていない)はいう。新技法によって,衣服としては異例なことが実現する。衣服が記憶装置になるのだ。
ワシントン大学のチームは導電性の糸で刺繍した布地の小片を磁化し,衣服の部分ごとに磁石のNまたはSの方位を与えた。これが2進数の1または0に対応する。これにより,シャツの袖口に最大で3300万通りの組み合わせ(扉のパスコードなど)を保存できる。また,手振りによって近くのスマホを制御できる磁気手袋も作り出した。昨年10月のACM(計算機械学会)で発表した。
この衣服は洗濯や乾燥,アイロンがけをした後でもデータを保持し続けたが,時の経過に伴う消去は免れなかった。およそ1週間で糸の磁場は約30%弱まった。研究チームは磁化を保つ性質がより強くなるように設計した専用の糸を使えば長持ちするようになるだろうと考えている。だが現時点では,ホテルのカードキーや小売店での衣類タグなどのような一時的なコードの保存に使うのがよいだろう。
データ記憶織物で「磁気ハードディスク並みの記憶密度を実現するのはまず難しい」とハリソンはいう。■
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