幼児の認知道具セット〜日経サイエンス2016年9月号より
一部は生来の本能的な能力らしい
青々と草木の茂るタンザニアのマハレ山塊の奥深くで,1頭のチンパンジーが小枝から葉を取り除き,地面に突っ込む。それをぐいっと引き抜くと,小枝にうまそうなシロアリがびっしりとくっついている。チンパンジーはそれをすするようにして食べ,さらにシロアリ釣りを続ける。
地球の反対側では,英国の3歳児が段ボール箱の前に座っている。小さな穴から中に3個のスポンジがあるのが見える。スポンジを取り出すことができたら,ステッカーをもらえることになっている。その子は誰から教えられたわけでもないのに,近くにあるマジックテープつきの棒を拾い上げる。スポンジがマジックテープにくっつくだろうとの推論で,それは大正解。すぐにステッカーを手に入れた。
タンザニアの霊長類はいつも通りの活動をしているだけだ。しかし英国の霊長類は,特定の道具を使うことが本能的かどうかを調べるための実験に参加している。
この対比は決して偶然ではない。この研究は,野生のチンパンジーやオランウータンに見られる道具関連の行動を幼児実験のモデルとして利用することによって,人間と類人猿の認知能力の比較を試みたものだ。研究チームは2歳から3歳半の幼児50人を対象に,野生のチンパンジーとオランウータンに見られるのと同様の道具関連の行動を観察した。シロアリ釣りなど類人猿の一般的な行動は,似た状況に置かれた子供にもしばしば観察された。また,石を使ってナッツを割るなど,野生の類人猿社会でそう多くは見られない行動は,幼児にも頻繁には観察されなかった。
子供は全部で12の課題のうち11を解決した。研究を率いた心理学者ラインドル(Eva Reindl)は,幼児が適切な行動を示したという事実は,これら単純な道具を使う能力が子供に本能的に備わっている証拠だという。
Proceedings of the Royal Society B誌に発表されたこの結果は,子供はどの道具についても使い方を後天的に学習しないと使えないとするこれまでの考え方を揺るがすものだ。この考え方はソ連の心理学者ヴィゴツキー(Lev Vygotsky)にさかのぼる。ヴィゴツキーは1930年に,人間の子供が自発的に道具を使うことは「実質的にゼロ」であると述べた。今回の発見はまた,人間と他の類人猿が物質世界の理解と操作を行うための認知装置を生まれながらに共有している可能性も示唆している。■
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