2016年6月3日
「この生命誰のもの」。“生命の尊厳”を問う舞台
![]() IMAGE:劇団四季 |
劇団四季を創立し,数々の名舞台を演出してきた浅利慶太氏が,自身でプロデュース,演出を手がけた舞台「この生命誰のもの」は,“生命の尊厳”とは何か?を真摯に問いかけるストレートプレイの名作。2013年1月以来の再演です。
音楽も無く,静かに幕が上がると,そこは,とある総合病院の集中治療室。舞台中央には,一台のベッド。横たわる青年は,不慮の自動車事故で重傷を負い,脊髄を損傷して首から下が全身麻痺となった彫刻家。
全身麻痺で,四肢の自由を奪われ,寝たきりとなりながらも,明晰な頭脳と話す能力だけはそのままで,担当の女医や看護女学生をからかったり,看護助手を相手に冗談を交わしたり,明るく振る舞いますが,全身麻痺という受け入れがたい現実に直面した患者の苦悩と葛藤,生きる希望が交錯し,リアルに描かれます。
精神安定剤の投薬を拒否したにもかかわらず,担当医に無理矢理注射されたことをきっかけに,自由が奪われていることを自覚した患者は,心を閉ざしてしまいます。
創作活動を奪われ,未来に希望を見いだせぬまま,最先端の医療による生命維持のための治療を受け続けるより,自らの尊厳に基づいて,死を選択したいと考えるようになり,退院を望むようになります。退院は,治療の中止であり,そのまま,死を意味することになるのを承知で,病院に退院を要求します。
退院を要求し,自らの「死ぬ権利」を主張する患者,退院を認めず,精神衛生法に訴えてまで治療と延命を主張する病院の「医の倫理」は正面からぶつかり,やがて,異例とも言える病室内での裁判が開廷されます。

そこで下された裁定は,患者の理性を認め,退院の望みを叶えるものでしたが,はたして,患者は,本当に,退院して,自らの生命を終わらせる選択をするのか?
裁判に負けた病院側が,患者を生かし続けるために患者に申し出た新たな提案とは?
いつ,どのように,どこで,死を迎えるのか?を問われ,生命の重さ,生命の自由さ,を考えさせられる舞台でした。
6月11日(土)まで、東京・浜松町、劇団四季自由劇場で上演。