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草舟で3万年前の「航海」を再現〜日経サイエンス2016年5月号より

琉球列島でのホモ・サピエンス海洋進出研究プロジェクトが始動

 

われわれホモ・サピエンスは,どのように海に挑んだのか? 人類学,考古学,海洋学などの研究者,海洋探検家が組み,琉球列島での「3万年前の航海」を再現しようという研究プロジェクトが始動する。日本列島への人類到着の歴史を追求すると同時に,海を越えて拡がろうとする人類の「意思」をなぞろうという試みでもある。

 

IMAGE:国立科学博物館

ホモ・サピエンスは約10万年前に生誕地アフリカを出て陸伝いに進み,5万年前頃にはアジアに到着したとされている。日本列島では3万8000年前以降から多くの人類遺跡が集中して発見されており,この頃に渡ってきたのだろうというのが定説だ。

 

「日本列島への人類渡来はいつどのように,どのルートを来たのかをもっと精密に調べることで,いろいろなことが見えてくる」と今回のプロジェクトを提唱している国立科学博物館人類研究部の海部陽介人類史研究グループ長は語る。

 

5万年前から3万年前頃,気候は寒冷化しており,海面は今より80mほど低かった。大陸から日本列島に渡ってくるルートとしては次の3つの可能性がある。

①朝鮮半島から対馬を経由して北部九州に来る。それぞれ40km程度の海を渡らないといけない。

②サハリンから,当時は陸続きだった北海道に入る。

③当時大陸の一部だった台湾から,海を越えて琉球列島を点々と渡っていく。

現在の考古学の成果によれば,最初に入ってきたのは,①の対馬ルートであることは確実のようだが,石器など遺跡に見られる文化の内容からするとそのルートだけでは,「最古の日本人」は説明できないという。

 

琉球列島ルートに注目

そこで注目されるのが難しいルートである③の琉球列島ルートだ。沖縄県の与那国島から鹿児島県の種子島までを琉球列島とすると,ここには1200kmの間に大小100ほどの島々が並んでいる(左下の地図)。島どうしの間隔は数十kmとかなり近い場合もあるが,宮古島と沖縄本島の間のように200km以上という例もある。海面が下がっている時でも,多くは深さ数百mの海を隔てて孤立した島のままであったことが,動物の固有種の分布などで明らかにされている。(続く)

 

続きは現在発売中の2016年5月号誌面でどうぞ。

 

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