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乳幼児期を思い出せない理由〜日経サイエンス2014年10月号より

脳の急成長が記憶を邪魔するらしい

  何十年も前の出来事でも,誕生パーティーや高校の卒業式,おばあちゃんの家へ行ったことなどは簡単に思い出せる。だが,赤ん坊時代を思い出せる人はいるだろうか? この「幼児期健忘」の原因解明を目指す研究は100年以上続いている。フロイト(Sigmund Freud)は幼児期健忘を早期の性的経験の抑圧に帰したが,この説は否定されている。近年では,子供には記憶の形成に必要な自己認識や言語などの技能が備わっていないからだといわれている。

だがトロント小児病院の神経科学者フランクランド(Paul Frankland)とジョセリン(Sheena Josselyn)は,言語も自己認識もこの現象をうまく説明していないと考える。実際,幼児期健忘を経験する動物は人間だけではない。マウスやサルも幼少期を忘れている。この類似を説明するため,フランクランドとジョセリンは別の説を考えた。幼少期の脳では多数の新たなニューロンが急激に誕生するので,古い記憶へのアクセスが邪魔されるという。

ニューロンの成長速度を変えて記憶力を比較
フランクランドらは最近,若齢マウスと成体マウスの海馬でニューロンが成長する速度を操作する実験を行った。海馬は自伝的記憶(自分で体験した出来事に関する記憶)を記録する脳領域だ。ニューロンの成長速度を遅くした若齢マウスは長期記憶に優れていた。反対に,ニューロンの成長速度を速めた成体マウスは記憶を失った。

5月のScience誌に報告されたこの結果に基づき,フランクランドとジョセリンは,幼児期の急速なニューロン成長が古い記憶を保存している脳の回路を乱し,記憶にアクセスできなくしていると考えている。幼児は前頭前野(記憶を形成する別の脳領域)が未熟でもあり,この2つの要因が組み合わさって幼児期健忘が生じている可能性がある。(続く)


再録:別冊日経サイエンス259『新版 認知科学で探る心の成長と発達』
再録:別冊日経サイエンス207「心を探る 記憶と知覚の脳科学」

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