日経サイエンス  2013年11月号

特集:モノ作り革命

バーチャル設計

J. D. マイアーズ(レンセラー工科大学)

高度なシミュレーションを利用すれば,試作モデルを作る前に理想的な製品を絞り込める

 

 

 エジソン(Thomas Edison)が130年以上前に実用的な電球を発明したとき,彼は試作モデルで何千回もの実験を行った。このきちょうめんな辛抱強さには驚嘆するばかりだが,もし現代の発明家が同じやり方をしたら尊敬されるどころか笑いものになるだろう。製品開発はコンピューターを使った数値計算によるところがますます大きくなっている。製品の設計と試験,改良はコンピューター上でなされ,試作品を1つも作らずに新機能を実証する場合もある。

 いまや,新技術が離陸するかポシャるかを分ける決め手は,高性能計算(ハイパフォーマンス・コンピューティング)と呼ばれる高度で膨大な計算を実行するコンピューターサーバー群だ。この「デジタル製造」はメーカーが実際のモノを作る前に,数千から数百万のプロセッサーの上で行われる。消費財メーカーが現在使っているデジタルモデル化技術は,宇宙航空産業などの大企業が以前に導入していたものよりずっと優れている。おかげで製品の設計・製造コストは下がり,開発から製品が売り場に並ぶまでの期間はかつてないまでに短縮した。

 その製品がどんな外観になり,何からどのように作られ,どんな性能を発揮するのか,コンピューターが描き出すモデルと複雑なシミュレーションからはっきりわかるようになってきた。コンピューターの処理能力が1年半ごとにほぼ2倍になるという「ムーアの法則」にしたがって,高性能計算の能力は今後さらに1000倍になるだろう。非営利団体の米国競争力評議会(COC)がいうように「計算力に優れた者が勝つ」時代を迎えつつあるのは間違いない。

 最先端のデジタル製造の例を以下に示す。この技術の近未来の姿も見えてくるだろう。

 

P&Gの“ハイテク洗剤”

 プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)の技術者も,多くの消費者は日用品がどのように作られているか気にしておらず,食品や洗剤,トイレットペーパーといった必需品の製造は“簡単”だと見くびっていることを承知している(ちなみに実際は,P&Gのトイレットペーパー製造設備には2億5000万ドル近い費用がかかっており,軍用機よりも多数の稼働部品と長い制御プログラムを備えている)。数年前,同社がまだ「プリングルズ」ブランドのポテトチップス事業を保有していたとき(現在はケロッグに売却),チップスがラインを高速で移動する際に上部を流れる気流に関するコンピューターモデルを開発した。これを用いて調整した結果,ラインから吹き飛ばされてクズの山になるチップスがなくなった。

 オールインワン洗剤「タイドポッズ」では従来の洗剤とは段違いの複雑さが求められた。可溶性フィルムのパッケージに洗剤としみ抜き,蛍光増白剤の3つを別々に封入してあり,洗濯機に1つ投げ込めばそれですべてOKという製品だ。タイドポッズが洗濯機の水と適切に反応して3種の液体をうまく放出し,効果的に洗濯物をきれいにできるよう,同社はのべ数百万時間をかけてコンピューターで解析した。

 その大部分はタイドポッズをどう製造するかの解明に充てられた。可溶性フィルムが切断時にどれだけしわになるかを構造解析によって計算し,それを最小に抑えた。また流体力学計算によって,パッケージの縁にしぶきを飛ばさないようにしながら高速で洗剤を充填する方法を突き止めた。洗剤のしぶきがかかるとパッケージの封止が困難になる。

 界面活性剤を主体とする液体は特異な振る舞いをする。このため,液体中にできるナノ構造(ミセルとベシクル)が製品の安定性と性能をどう阻害するかを評価するために分子モデルによるシミュレーションも必要になった。また,ぐにゃぐにゃと軟らかいタイドポッズが保存中にどんな形に落ち着くかを示すデジタルモデルは,タイドポッズを収める販売パッケージの設計に役立った。これらの結果,製造に必要な目標水準をクリアできた。タイドポッズ1個の組み立て時間は約1秒,不良率は10億個に1個だ。

 

中小メーカーにも革新の波

 P&Gの成功例はあるものの,高性能計算に基づくデジタル製造への転換は容易ではない。3つを同時に切り替える必要がある。物理的な試験設備から数値計算設備への転換,大雑把な方法から複雑だがより正確な方法への転換,そしてトラブルに事後対応する文化からトラブルを事前に予測して設計を改めることへの転換だ。

 ニューヨーク州北西部のフィンガーレイクス地方にあるITTグールズポンプスは1840年代から,化学工業や鉱業,電力などの産業向けにポンプを製造してきた。P&Gと違って,自社でデジタル製造設備を整えるほどの力はない。その代わり,同社は「ナノテクノロジー革新計算センター」に相談した。レンセラー工科大学とIBM,ニューヨーク州が共同で設立した組織だ。レンセラー工大はグールズ社がCAD(コンピューター支援設計)による設計図を3次元メッシュモデルに変換するのに協力した。メッシュモデルは対象を多数の小さな領域に分割して,それら全体にわたって流体の流れを計算できる。グールズ社はこれを使って新しいポンプを設計し,賞を受けた。さらに踏み込んで,超並列計算によってキャビテーション(泡の発生)を避ける方法を探っている。キャビテーションはポンプの性能低下と老朽化につながる。

 インディアナ州ではジェコ・プラスチック・プロダクツ社が同様の取り組みを進めている。同社は適切な輸出用パレットを探している自動車メーカーに対して,海外製の金属パレットよりも優れているとしてプラスチックパレットを提案した。しかし,試作品を比較テストしたりプラスチックパレット製造用に設備を改造したりする費用は莫大だし,新製品が採用される保証もない。自社のコンピューターで新デザインを正確にモデル化する力もなかった。そこで同社はパデュー大学およびオハイオ・スーパーコンピューター・センターと組んでデジタルモデルを開発し,設計をテストした。このコンソーシアムは米国競争力評議会が支援する産官学共同の1つで,ソフトウエア開発とスーパーコンピューターの賃借,中小企業への技術指導を行っている。ジェコ社は新規受注に成功した。同社は2300万ドルの収入と15人の雇用が生まれると推定している。

 

デジタル生まれ

 エジソンの時代と違って,原材料と製造方法,設計の組み合わせに何百万通りもの選択が考えられる現代にあって,コンピューターモデルに基づいてこれらを一挙に検証することなくしては新製品を世に送り出せないだろう。プライアント・エナジー・システムズはそこをよくわかっている。ニューヨークのブルックリンにあるこのベンチャー企業は,曲げられると電気を生じる“スマート材料”を使って流水によって発電するという革新的アイデアを持っている。同社の流体発電装置は文字通り流水に投げ込むだけで発電できるほか,自家発電灌漑ポンプにも利用できるだろう。ただし,考えうる設計が多岐にわたり,試作品を作って評価するのはたいへんなので,事前のコンピューター解析が不可欠だ。

 川の流れのシミュレーションには,多数のプロセッサーで計算を分担して処理スピードを上げる超並列計算が必要になる。発電ポリマーの長くて柔軟なチューブなどが水流でどのように曲がるかを予測し,発電量をいかにして最大化するかを検討するには,発電装置のモデルと流水のモデルを組み合わせる必要がある。最新鋭の高性能コンピューターでようやく可能になる離れ業だ。プライアント社はレンセラー工科大学とともに,コスト効率に優れた技術開発に必要となるデジタルツールと専門知識を持つことを示し,米中小企業庁から30万ドル近い研究費を得た。同社は現在,さらに高度な物理モデルと改良型試作モデルのデジタル設計に取り組んでいる。

 同社の成功はより大きなトレンドの一部だ。レンセラー工大で生物学科とコンピューター科学科の准教授を務めるビストロフ(Chris Bystroff)は,タンパク質分子を人工的に設計して製造する技術を開発した。そうしたタンパク質は,例えばデング熱ウイルスやH5N1型インフルエンザウイルスがあると蛍光を発する分子センサーとして機能する可能性がある。ビストロフとニューヨーク州立大学バッファロー校は,これをウェブインターフェースと組み合わせれば,抗体を使うと数日かかる検査が数時間ですむとみている。

 デジタル製造は珍しくもない考え方に思えるかもしれないが,より高速のコンピューターと複雑なソフトウエアが利用できるようになってきたということは,ジーンズの汚れを落とす洗剤から人体に侵入するウイルスを発見する検査機器まで,多くの新製品が0と1のデジタル世界で産声を上げるようになることを意味している。 (編集部 訳)

著者

James D. Myers

レンセラー工科大学ナノテクノロジー・イノベーション・コンピュテーショナル・センターの研究開発担当副所長。

原題名

Assembled in Code(SCIENTIFIC AMERICAN May 2013)

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