SCOPE & ADVANCE

新局面を迎えた小林・益川理論の検証実験〜日経サイエンス2006年7月号より

物質と反物質の微妙な違い「CP対称性の破れ」を説明する小林・益川理論
トップクォークを発見した米国の巨大加速器によって,さらなる検証が進んだ

 

 宇宙誕生時,物質と反物質は等量あったのに,現在の宇宙に反物質が見あたらないのはなぜか。その理由のひとつが,物質と反物質の微妙な振る舞いの違い「CP対称性の破れ」だ。そして,このCP対称性の破れを素粒子物理学の標準モデルの枠内で無理なく説明するのが「小林・益川理論」。これまで多くの実験によって,この理論の正しさが裏付けられている。このほど,日本が主導的役割を果たす大規模国際共同実験によって,さらに高精度の検証が実現した。
 実験に使われたのはシカゴ近郊にある米国立フェルミ加速器研究所にある加速器テバトロン。陽子と反陽子を正面衝突させ,宇宙初期の約2テラ電子ボルト(TeV,テラは1兆)という超高エネルギー状態を再現する。この加速器によって,標準モデルを構成する6つのクォークのうち最後まで見つかっていなかったトップクォークが1995年に発見された。テバトロンは1996年に運転を停止,エネルギーと,陽子・反陽子の衝突頻度を大幅に高める工事がなされ,2001年に運転を再開した。再開後の最初の大きな成果が今回の小林・益川理論の高精度検証だ。
 テバトロンが生み出す超高エネルギー状態のなかからは,トップクォークのほかにもさまざまな種類の膨大な数の素粒子や粒子が出てくる。そのひとつがBs(ビー・サブ・エス)中間子。ボトムクォークの反粒子(反ボトムクォーク)とストレンジクォークが結びついてできた粒子だ。
 生み出されたBs中間子は高速で飛行するが,その途中で反ボトムクォークとストレンジクォークの間でWボソン(弱い相互作用を担う素粒子)をやりとりしてボトムクォークと反ストレンジクォークのペア,つまりBs中間子の反粒子(反Bs中間子)に変わる。その反Bs中間子も高速飛行を続けるうちに,同様のクォーク間の相互作用によってBs中間子になる。さらにBsは再び反Bsになり……という具合で,このようにBs中間子と反Bs中間子の間を往復する現象を「Bs中間子の粒子反粒子振動」という。
 同様の振動はK中間子(ダウンクォークと反ストレンジクォーク),B中間子(ダウンクォークと反ボトムクォーク)で観測されている。これに対しBs中間子は振動数が非常に高く,観測困難と考えられていたが,今回測定に成功した。振動数は2.8兆ヘルツだった。「こうした粒子反粒子振動の精密観測は小林益川理論の検証に直結する」と筑波大学の金信弘(きむ・しんほん)教授は話す。テバトロンには陽子と反陽子を衝突させる場所が2つあり,それぞれ大型観測装置が国際共同で建設された。今回の発表はその一方,CDFと呼ばれる13カ国700人による実験で,金教授は日本グループのリーダーだ。

 

混ざり合うクォーク

 物質と反物質の微妙な違い「CP対称性の破れ」は1964年,K中間子の観測で見つかった。標準モデルは6つのクォークを第1世代(アップとダウン),第2世代(チャームとストレンジ),第3世代(トップとボトム)にグループ分けしている。1973年に発表された小林・益川理論はクォークが2世代の3つ(アップ,ダウン,ストレンジ)しか発見されていなかった当時,「クォークが3世代,6つあればCP対称性の破れは説明できる」と予想した。
 クォークの各世代は完全なペアではなく,一定の割合で別の世代のクォークが混ざっている。例えば第1世代のアップと対をなすのは,同世代のダウンに第2世代のストレンジが混ざったものだ。小林・益川理論は当時未発見だった3世代目のクォークの存在を仮定し,それらが第1世代,第2世代のクォークに混ざっていると考えれば,CP対称性の破れが自然に起きることを示した。
 クォークの混ざり具合は,あるクォークが別のクォークに変わる(崩壊する)際の「崩壊しやすさ」に表れる。これは複素数,言い換えれば「長さ(確率)」と「角度(位相)」で表現されるので,各クォーク間についてそれらを求めれば,図に描くことができる。小林・益川理論が正しければ,それらをすべて合わせると,ちょうど三角形を結ぶことになる。これを「ユニタリティ三角形」という。
 では,本当に三角形ができるのか。三角形であるかどうかは,3辺の長さを測るか,1辺とそれを挟む2つの角度が測定できればよい。そしてそれらを実験的に決めるには,B中間子やBs中間子での粒子反粒子振動などを観測すればよい。高エネルギー加速器研究機構と米スタンフォード線形加速器センターにそれぞれ建設されたBファクトリーによるB中間子の実験がその代表格だ。
 これまでの実験で,ユニタリティ三角形ができることは高い信頼性で確認された。しかし,Bファクトリーによっては決められない部分があり,それがテバトロンの実験で補完された。求まったBs中間子の粒子反粒子振動の振動数は小林・益川理論の予想値と矛盾せず,その測定精度は理論の予想精度よりもはるかに高い。
 Bファクトリーとテバトロンのいずれも実験を継続中で,データが増えて測定誤差が減れば,さらにくっきりした三角形が姿を現すことになる。しかし,もし完全な三角形を結べず,2つの辺の間にわずかな隙間が残ったとしたら,「そこに標準理論を超える新たな物理が見えてくるだろう」(金教授)。 

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