農場発の遺伝子組み換え新薬〜日経サイエンス2006年11月号より
ヤギが作り出す抗血栓薬が欧州で近く認可される
マサチューセッツ州チャールトンにあるGTCバイオセラピューティクス社の農場。ここにいる30頭の遺伝子組み換えヤギの乳には,血液をサラサラにする薬が含まれている。血液凝固を防ぐヒトタンパク質,アンチトロンビンだ。アトリン(ATryn)というこの薬は欧州の監督機関にいったん却下されたが,大逆転の末,近く認可される見通しとなった。遺伝子組み換え動物から作られた世界初のヒトタンパク質製剤となる。
より重要なのは,ヤギだけでなくさまざまな遺伝子組み換え家畜が医薬品作りに使われる道筋が整うことだろう。オリゲン・セラピューティクス社(カリフォルニア州バーリンゲーム)は遺伝子組み換えニワトリを作る経済的で用途の広い方法を開発した。この方法で作った組み換えニワトリは,原理的には,多様なタンパク質を卵のなかに作り出す。
タンパク質製剤を作るにはタンクのなかで哺乳類の細胞を培養する方法が一般的だったが,血漿中のタンパク質などは作りにくい。大量の薬を培養細胞から抽出するのも難しく,薬の価格が高くなる。従来手法で年間100kgの薬を作るには,数億ドルの費用がかかる。
だが,GTC社のヤギが150頭,あるいはオリゲン社のニワトリが5000羽あれば,同量の薬を数千万ドルで作れる。組み換え動物農場の運営費も安いものだと,オリゲン社の社長兼CEOのケイ(Robert Kay)はいう。
症例少なく認可は難航したが…
GTC社は約15年がかりで組み換えヤギを開発し,2004年1月に生産準備を整えた。まず狙ったのが欧州市場。遺伝性アンチトロンビン欠乏症に関する薬について,欧州医薬品審査庁(EMEA)が認可指針を整備していたためだ。この病気の患者は,外科手術や出産などの際に血栓ができて問題を起こす恐れがある。ただ,3000~5000人に1人というまれな病気で,詳しく研究できる例も少ない。
今年2月,欧州医薬品審査庁の委員会はGTC社が提示した5件の手術例では不十分として,認可申請を却下した。GTC社は不服を申し立てたが,勝算は小さいと考えられた。「企業が不服を申し立てても規制当局から認可を得た例は非常に少ない」と,投資・調査会社コーエン・アンド・カンパニーのバイオ技術アナリスト,ナドー(Philip Nadeau)はいう。しかし,欧州医薬品審査庁の委員会は血液の専門家を迎えて結果を再考し,前回は除外した9件の出産例に関するデータを考慮することを6月1日に決定。「アトリンの効果はリスクを上回る」と結論づけた。欧州委員会による最終的な認可は9月中に下りる予定で,まずは外科手術に適用される。
遺伝性アンチトロンビン欠乏症患者向けの市場は欧州と米国を合わせても5000万ドルにすぎない。だが,アトリンは火傷や冠動脈バイパス術,敗血症,骨髄移植などにも使用でき,全世界で7億ドルの市場が見込まれる。
GTC社の会長・社長兼CEOのコックス(Geoffrey Cox)は同社が成功すれば「一般に新技術の採用に及び腰になっている傾向が改まる」と期待しており,「組み換え動物が当たり前の医薬品製造手法になる日がくるだろう」という。ナドーも同意見だ。「遠からず,第2,第3の遺伝子組み換え動物医薬品が市場に登場するだろう」。
ニワトリから作る薬 |