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知られざる黄金の文明〜日経サイエンス2007年1月号より

中央アジアで紀元前2000年の王墓を発見

 

 古代の墓は,その主の生前の暮らしぶりを物語る。墓が大きく立派な副葬品があれば,被葬者は裕福だったと想像できるし,殉死者がともに埋められていれば,主がかなり大きな権力を持っていたことは確かだ。メソポタミアや中国などでは,兵士や召使いなどが死後も主人に仕えるために殉葬されている。

 

 トルクメニスタン東部,ムルガブ川の流域にあるゴヌール遺跡で,このほど紀元前2000年の王墓が発掘された。過去に発掘されたゴヌールの一般人の墓は地下に縦穴を掘り,さらに横穴を掘って遺体を埋めただけのもので,富裕層の墓は棺を置く部屋が設けられている。これに対し今回発見された墓は約30~50m2とかなり大きく,5~6室に分かれており,床はモザイクで飾られていた。広間にはラクダ2頭の死骸とそれが引く車,殉死した御者2人が葬られ,金・銀,ラピスラズリ,めのうなどの装身具や鏡,斧や儀仗も副葬されていた。高度な青銅器文化をもつ人々の王に相当する権力者が埋葬されたものらしい。

 

 ゴヌール遺跡は4ヘクタールに及ぶ城壁に囲まれた王宮で,城壁内部には宮廷や神殿,貴金属器や青銅器を製作した工房,倉庫もあった。この地方は現在はカラクム砂漠となっているが,古代にはより湿潤で,牧畜や灌漑農耕が行われたことを示す遺跡が散在している。バクトリア・マルギアナ考古複合(BMAC文化)と呼ばれる青銅器文化で,ゴヌールはその中心的な都市だったようだ。

 

 今回の発掘調査に携わった中央アジア考古学の専門家,ロシア科学アカデミーのサリアニディ(Victor Sarianidi)は,「この地方の青銅器文化は文字こそないが,豊富な金銀の加工・輸出で栄え,いわゆる四大文明に匹敵する高度なものだ。『第五の古代文明』といっても過言ではない」という。サリアニディはこの文明の担い手はインド・アーリア人で,アナトリアから来たと考えている。

 

 メソポタミアの叙事詩によると,紀元前2600年ころ,「メソポタミアで金銀が払底し,エンメルカル王がウルクの都から7つの山を越えて,砂漠に面した王国に金や銀,ラピスラズリを求めた」という。この王国はイラン東部とされてきたが,カラクム砂漠にあったという説もあり,ゴヌールにほど近い,さらに時代の古いアルティン・デペ遺跡がその候補のひとつとなっている。この地域の今後の発掘によって,伝説の「金銀のあふれる王国」の真実が明らかになるかもしれない。

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