加速する宇宙太陽光利用研究〜日経サイエンス2007年2月号より
太陽光をレーザーに変えて地上に送り,水素を生み出す…
想像図しかなかったものが,姿を見せ始めた
都市や道路の照明で海岸部が明るく縁取られる夜の相模湾。湾上には人工島があり,巨大な円筒が照明で浮かび上がる。大型静止衛星から赤外線レーザーの形で送られてくる太陽光エネルギーを受ける施設だ。高度3万6000kmの静止軌道上は地球の陰に入ることがほとんどない常に昼の世界。人工島の巨大円筒には昼夜を分かたずレーザー光が送り込まれ,その光を浴びた海水からは光触媒の働きで水素が泡となって立ち上り,自動車や発電施設を動かす燃料電池用の燃料としてパイプラインで横浜や東京に送り出される……。
宇宙航空研究開発機構(JAXA)は宇宙太陽光利用システムのイメージをそんな1枚のイラストにまとめた。地上での太陽光発電は実用化しているものの,日光は大気圏を通る間に30%減衰してしまうし,曇りや雨の日,夜間は発電できない。静止軌道上ならこうした制約はないので,同じ受光面積なら地上の約10倍の太陽エネルギーを受けられる。太陽という天然の核融合炉を高効率で利用するこのシステムは,地球温暖化を抑制しエネルギーを安定して確保する究極の解決策ともいえる。
日本では1990年代前半から研究が始まり,2003年に国のエネルギー基本計画のなかで「長期的視野で取り組むべき課題」として位置づけられた。現在,JAXAを中心に大学や電力会社,関連メーカーなどから約170人の研究者が参加するプロジェクトが進行中。年間予算は約2億円だが,これほどの予算規模と人員で研究しているのは日本だけだ。その成果の一端を示す公開実験がJAXA角田宇宙センター(宮城県角田市)であった。
太陽光からレーザー光を生み出す
実験の目玉は太陽光から赤外線レーザー光を生み出す「太陽光励起レーザー」。赤外線は大気による吸収が少ないので,あまり減衰せずに軌道上から地上に届く。JAXAとレーザー技術総合研究所が共同開発した試作品は2cm×3cm,厚さ3mmのセラミックス薄板で,裏面に反射用のアルミ箔がついている。
この薄板に太陽光を当てた状態で微弱な赤外線レーザー光を照射すると,薄板内で太陽光エネルギーがレーザー光に変換され,入射したレーザー光が増幅されて出てくる。模擬太陽光を使った実験でのエネルギー変換効率は30%で,目標(40%台後半)達成への見通しが得られた。
薄板は赤外線を発振する固体レーザーとして普及しているYAGセラミックスの一種で,クロムを3%,ネオジムを1%添加したのが特徴だ。クロムは青い光,ネオジムは黄色からオレンジ色の光をよく吸収する。これらを添加することで,太陽光スペクトルの主要部(可視光を中心とした波長300nmから1μmまでの領域)の7割以上の部分を赤外線レーザーに変換できるようになった。
公開実験では薄板2枚の間でレーザー光を往復させ,4回の増幅によって出力約10Wの赤外線レーザーを生み出した。従来の実験と比べると約10倍で,大出力化への足がかりができた。ただ,素材がセラミックスなので,素子の大型化には大きな炉を使った熱処理が必要になる。スケールアップが課題だ。
本格的なレーザー伝送試験
このほか,赤外線レーザーが大気中を伝わる際の影響を調べる本格的な試験施設が完成。コンクリートで固めた地盤の上にレーザー光を送り出す建屋を設置,同様の受光施設を500m離れたところに建設した。まず微弱な可視光レーザーで送光側と受光側の位置を確認してから,大出力の赤外線レーザーを送り出す。レーザー光は地上3mの高さを伝わるので,地面からの影響をある程度防げる。
公開実験では3WのYAGレーザーが使われたが,2007年夏以降は1kW級の伝送実験を始める。実用化した場合,衛星からは100万kWの赤外線レーザーを送り出すことになる。そうした超大出力の赤外線レーザーが大気圏を通過する際にどんなことが起きるかは,まだよくわかっていない。例えば赤外線レーザーが通ると雲に穴が開く可能性が指摘されているが,本当にそうなるかどうか。ただ,伝送出力100万kWといっても,鳥や飛行機への影響がないように,面積当たりの強度はそれほど強くない水準に設定される。
レーザー光を使って水素を製造
衛星からのレーザー光を受けて水素を製造する研究も進んでいる。この分野も課題は多い。水分子を分解して水素を得るには一定のエネルギーが必要だが,利用が想定されているYAGレーザーのエネルギーはそれに少し足りない。より波長の短い(エネルギーが高い)赤外線レーザーに取り替えるか,光学素子でYAGレーザーの波長を変換する必要がある。水よりも小さなエネルギーで分解する物質を使う道も考えられる。
今回,水に溶けた硫化水素に緑色レーザー光を当て,水素を発生させる実験が公開された。硫化水素の分解に必要なエネルギーは水より小さい。レーザーによる水素製造としては世界初の実験例という。東北大学の田路和幸(とうじ・かずゆき)教授らが開発した光触媒が成功のカギとなった。
2010年代前半に実験衛星打ち上げへ
マイクロ波によるエネルギー伝送も有力視され,JAXAも研究に取り組んでいる。衛星搭載の太陽電池で発電,電力をマイクロ波に変えて送り出す。世界的にはこちらの研究が先行しているが,太陽電池の効率を考えると,軌道上で発電する時点で太陽光エネルギーの7割以上が失われ,マイクロ波の特性から伝送エネルギーの量に関係なく送信側・受信側ともに直径約2kmのアンテナが必要になる。
JAXAは2010年代前半に送出エネルギー数十kW級の実験衛星を打ち上げる考えだ。赤外線レーザーとマイクロ波のどちらの方式を採用するかは,研究の進捗を見て判断する。最終目標は100万kW級の商用衛星の実現で,原子力発電と比較して競争力を持たせるには,建設費1~2兆円で40年運用し,1kW時当たりの発電コストを約8円に抑えるのが技術面でのゴールとなる。