SCOPE & ADVANCE

遺伝子制御の仕組みに迫る〜日経サイエンス2007年7月号より

DNAとともに染色体を構成し,遺伝子の発現調節を担う「ヒストン」
その複製機構を解明する有力な手がかりが得られた

 

 「生命現象の根幹にかかわる研究成果。日本から生み出せたことを誇りに思う」と東京大学分子細胞生物学研究所の堀越正美(ほりこし・まさみ)准教授は話す。
 生命の設計図はDNAだが,それだけで生命情報が完結するわけではないことが近年わかってきた。DNAとは別系統の生命情報の保存・伝達システムを探る分野を「エピジェネティクス」という。エピジェネティックな現象には未解明の部分が多く,がんなどの疾患とも関連すると考えられることから,世界的に激しい研究競争が起きている。
堀越准教授と産業技術総合研究所の千田俊哉(せんだ・としや)主任研究員らはエピジェネティックな情報を担うヒストンというタンパク質がどのように複製されるのか,その基本メカニズムを解明する突破口をつかんだ。ヒストン複製には従来,2つの仮説が有力視されていたが,今回,それとは別の第3の仮説が真実であるらしいことを実験によって明らかにした。この研究成果を土台に,謎が多いヒストンの複製機構についてさらに詳しい解明が進むと期待されている。
 エピジェネティクスが担うのは遺伝子の発現調節。ひとつはDNAの塩基に結合するメチル基の有無で,メチル基がついていると発現が抑制される。そして,もうひとつの情報保存媒体が,東大・産総研グループが研究に取り組んだヒストンだ。

 

 

ヒストンが担う遺伝子の発現調節

 ヒストンにはH2A,H2B,H3,H4という4種類があり,各2つずつ計8つが結びついて1つの球になる。DNA二重鎖を糸に見立てると,ヒストンの球は糸巻きの“芯”だ。長さ146塩基対のDNA二重鎖の糸が,この芯に約2周くるくる巻き付いている。このようにDNA二重鎖とヒストンの球が組み合わさったものを「ヌクレオソーム」という。染色体はヌクレオソームが数珠のようにつながったものが折り畳まれてできている。
細胞分裂に先だってDNAが複製される際にはヌクレオソームの数珠からDNA二重鎖の糸がほどける。そしてDNA二重鎖が一本鎖に分かれ,それぞれ新たなペアが形成されて2本の二重鎖になる。同時にヒストンも複製されて,ヒストンの球は倍に増え,それらに複製DNAの二重鎖が巻き付いてヌクレオソームを形成し,最終的に2セットの染色体ができる。
 問題はヒストンの複製機構だ。ヒストンでできた球をよく調べると,アセチル基やメチル基などがついており,こうした化学修飾のパターンは細胞の種類などによって異なっている。この化学修飾のパターンが,遺伝子の発現パターンを決めていることが明らかになってきた。細胞分裂の際に,このヒストンの化学修飾パターンも正しく伝承される必要があるが,ヌクレオソームの発見から30年以上たった後も,その複製メカニズムははっきりわかっていなかった。
最も素直な考え方は,ヒストンの球が真っ二つに分かれ,それらの半身が“手本”となってもう半分が新たにでき,化学修飾パターンを正確に再現した2つの球ができるというシナリオだ。球は4種のヒストンが各2つずつ結びついてできているので,うまく分割すれば4種類が1つずつ結びついてできた“半球”になる。これなら各ヒストンの化学修飾の情報を複製するのも容易だろう。
 実際,最初に支持されたのはこのシナリオだったのだが,大きな問題があった。球を構成する4種類8個のヒストンのうちH3どうしの結合が非常に強いので,うまく分かれるのは難しいと考えられた。そこで「球は分割できない」という前提で新たに2つのシナリオが生まれた。

 

 

複製のシナリオ,どれが真実か?

 細胞分裂の際,DNA二重鎖の複製の仕方には順方向の複製と逆方向の複製という2通りがある。うち一方の複製二重鎖についてはもとのヒストンの球が用いられ,もう一方の複製二重鎖に対しては新たに作られた球が使われるというシナリオがそのひとつだ(シナリオ1)。もうひとつは,もとのヒストンの球は順方向の複製二重鎖と逆方向の複製二重鎖のいずれにも振り分けられ,足りない分はそれぞれ新たに作られるというもの(シナリオ2)。化学修飾パターンの正確な複製には“手本”が近くにあったほうが便利なので,この「振り分けシナリオ」が有利とも思える。ただ,場合によっては何個分も一方の側に行ってしまうことが考えられ,そうなるとやはり化学修飾パターンの正確なコピーが難しいことが指摘されていた。

 

 

真っ二つに分かれたヒストン

 ところが今回,東大・産総研グループはH3どうしの強固な結合がCIAというタンパク質によって切断されることを明らかにした。ヒストンの球の中核部分となるH3,H4各2つずつからなる複合タンパク質とCIAを混ぜると,複合タンパク質はH3,H4各1つずつの塊にきれいに分かれた。X線構造解析の結果,CIAはH3と結びついてCIA・H3・H4複合体を形成しており,H3どうしが再結合して球に戻るのを防いでいることも明らかになった。
CIAはヒストンに結びつくタンパク質「ヒストンシャペロン」のひとつだ。ヒストンシャペロンは酵母からヒトまで広範な生物種で見られ,全部で10種類ほどが知られている。ヒストンと同様,種の違いによる差異が少ないので,生命に必須の存在だと考えられる。ヒストンの球にDNA二重鎖が巻き付く際やほどける際に何らかの作用をしていると考えられるが,CIAを含め各種ヒストンシャペロンの詳しい機能はわかっていなかった。
東大・産総研グループの研究によって,最初期に考えられたものの放棄されていたシナリオがよみがえった。つまりヒストンの球が半分に分かれた後,それぞれが手本になって化学修飾パターンを含む複製が進むらしい。DNAとは別系統の生命情報伝達メカニズムの解明が進むことにより,がんなどの疾患や生命進化の研究など,広い分野に影響が及ぶことになりそうだ。

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