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抑揚のある言語と遺伝子の関係〜日経サイエンス2007年11月号より

「ニーハオ」それとも「ボンジュール」,あなたはどちらが話しやすいか…
それが遺伝子によって変わってくる?

 

 

 人間が遺伝学的に多様であるのと同様,言語もさまざまで,世界で6800種類以上の言葉が話されている。最近の研究で,言語の多様性の一部を遺伝学的に説明できそうなことがわかった。ある遺伝子によって,抑揚のある言語を話すかどうかの傾向が変わってくるという。だが,この関連性がどのように機能しているのかは不明なままで,一部の研究者は関連性そのものを疑問視している。

 

2つの遺伝子と音調言語

 言語は明らかな抑揚を持つものと,それ以外に分かれる。中国語や西アフリカのヨルバ語などの「音調言語」では,抑揚の違いで単語の意味が違ってくる。例えば中国語では,「マ」を高音で平坦に発音すると「母」の意味となるが,低音から尻上がりに発音すると「馬」を意味する。これに対し英語の場合,抑揚は感情を表すことはあっても,意味には影響しないのがふつうだ〔この区分の有名な例外が日本語で,箸と橋など,音節(専門用語でモーラという)の抑揚によって単語の意味が異なってくる場合がある〕。

 

 英エディンバラ大学の言語学者ラッド(Robert Ladd)とデデュー(Dan Dediu)は,この違いに遺伝子が関係している可能性があると提唱している。2人は公開データベースのDNA配列を解析し,脳の成長と発達に関連する2つの遺伝子,ASPMとマイクロセファリンを調べた。この2つの遺伝子が,子音の数など言語の26種類の特徴とどう相関しているか,また旧世界の49種族の間でどう異なるかを知りたいと考えた。

 

 この結果,これらの遺伝子について比較的最近に進化した新タイプを持つ人々は,非音調言語を話す傾向にあることがわかった。新タイプのASPM遺伝子は約5800年前に,新タイプのマイクロセファリン遺伝子は約3万7000年前に現れたもので,以前の研究では,これらの変異は知性や脳の大きさ,社会性には影響していないとみられていた。しかし,ラッドらは遺伝子変異によって言語と声調に関係する大脳皮質にわずかな違いが生じていると考え,米国科学アカデミー紀要6月26日号に報告した。

 

 ただ,ラッドは“中国語の遺伝子”があるわけではないと強調する。「中国人の男の子をカンザス州で育てたら中国語を話すようにはならないだろうし,その逆もしかり」と説明する。それでも,遺伝子の影響によって,ある言語を学習する経路がわずかに異なる可能性はある。さらに「遺伝子のおかげで音調言語を習得しやすい人もいるかもしれない」。

 

決定的なことはいえず

 

 一方,音調言語に向いた遺伝的素因などない,という主張もある。カリフォルニア大学サンディエゴ校の知覚・認知心理学者ドイチュ(Diana Deutsch)は,音調言語を話す人たちには「絶対音感」を持つ人が多いことを発見した。絶対音感は参照音と比較することなしに,聞いた音の高さを言い当てられる能力のことだ。この研究は絶対音感が遺伝子に基づくものではないことも示しており,それを延長して考えると,音調言語も遺伝子とは無関係だと考えられる。ドイチュは,ラッドらが見つけた関係性は「単なる偶然かもしれない」と指摘し,今後の研究で覆るだろうとみる。この点はラッドも否定しない。

 

 しかし,絶対音感と音調言語に関連性があるように見えても,だからといって「音調言語に絶対音感が必要だということにはならない」と,ノースウエスタン大学の神経科学者ワン(Patrick Wong)はいう。ワンはむしろ,もしASPM遺伝子とマイクロセファリン遺伝子が音調言語に一定の役割を果たしているなら,高音と低音の聞き分けや,言葉や文の抑揚づけ,音程変化パターンの追跡に役立っているのだろうとみる。ワンはラッドらの研究を「非常に興味深いが,決定的なものではない」とみている。

 

 ラッドは将来,新たに音調言語を習得する人の熟達度と,ASPM遺伝子やマイクロセファリン遺伝子の変異との相関を調べる研究が考えられるという。ただ,遺伝子が関連しているとしても,「その影響はごくわずかで,その人の育った環境などの要因の陰に隠れてしまうかもしれない」と考えている。

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