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ビッグバン以前の宇宙を探して 〜日経サイエンス2007年12月号より

新たな理論モデルが登場,観測を通じて検証できるかも

 

 ビッグバンは時間を含むすべての始まりだから,それ以前について考えるのは意味がないとされることが多い。だが最近,宇宙にビッグバン以前の時代があったとする理論が増えてきた。その時代の痕跡がいまも存在し,次世代の望遠鏡によって検出できる可能性があるというのだ。
 従来のビッグバン理論によると,宇宙は無限のエネルギーと密度を持つ点から生まれた。この「特異点」では物理法則が破綻し,成り立たない。その後,宇宙はごく短時間,光速をはるかに上回るスピードの急膨張「インフレーション」を起こし,ほぼ均一に平たく引き伸ばされた。そう考えると,多くの謎が解ける。例えば時空が「平坦」で光がほぼ曲がらずに直進するのは,インフレーションによって初期宇宙の曲率が平らにならされたためだ。だが完全に均一ではなく,インフレーションの最中に生じた“さざ波”が,現在見られる銀河の分布など,宇宙の大構造のもとになったのだと説明できる。
 宇宙マイクロ波背景放射(ビッグバンの熱の名残)の観測によって,インフレーションモデルの大まかな予測がいくつか実証された。しかし,インフレーションの際に生じた強力な重力波がマイクロ波背景放射の歪みとして検出されるはずなのだが,観測ではまだ見つかっておらず,一部のインフレーションモデルは否定されている。
 さらに,インフレーションを支える基礎理論からすると,インフレーションは果てしなく続くプロセスになってしまうと批判する意見もある。つまり,さまざまな特徴を持つ空間が無数に生まれることになるので,いま見られるような構造と平坦さの宇宙に私たちがすんでいる理由を説明するのに,もっと複雑な理論が必要になるという。

 

 

懐疑的に見られていた従来モデル

 過去15年の間に,ビッグバン以前にも宇宙は存在したのだとする大胆な理論がいくつか登場した。私たちの宇宙はビッグバン以前に収縮していたのだが,再び膨張に転じたという考え方だ。
 なかでも2001年に提唱された「エキピロティック説」は,現在の宇宙の構造や平坦さなどの特徴をうまく再現できる〔この名称は,宇宙を破滅・再生させる大火エキピローシス(ekpyrosis)という古代ギリシャのストア学派の概念に由来〕。さらに,2002年にエキピロティックモデルから導き出された「サイクリックモデル」は,宇宙膨張を加速している原因とされる暗黒エネルギーも説明できる(G. ヴェネツィアーノ「時の始まりはいつだったのか ビッグバン以前の宇宙」日経サイエンス2004年8月号)。
 だが,これらバウンシングモデル(収縮・膨張を繰り返すモデル)に納得しない理論家が多かった。これらの説は,ビッグバン前の揺らぎが特異点のとてつもなく強固な壁をうまく通過して,現在の宇宙構造のもとになったと仮定しているが,「ほとんどの宇宙論研究者はそんなことはありえないと考えている」とプリンストン大学の宇宙論研究者スタインハート(Paul Steinhardt)は認める。スタインハートは英ケンブリッジ大学の理論物理学者テュロック(Neil Turok)とともに,エキピロティックモデルとサイクリックモデルを発展させてきた研究者だ。
 さらに,これらのモデルは「ひも理論」に基づいて記述されたものだ。ひも理論が空間と時間のほかに未発見の余剰次元を想定していることから,この理論をまともに相手にしていない科学者が多い。

 

 

「ゴースト凝集体」で特異点を回避

 ところがここ数カ月で,新しいバウンシングモデルが立て続けに現れた。驚いたことに,特徴は多種多様なのだが,多くは特異点の問題を回避しており,どれも時空以外の余剰次元を必要としない。
 「ひも理論に関係するためだろう,バウンシングモデルは懐疑的に見られてきた」とスタインハートはいう。「しかし新モデルはもっと一般的な物理を使っている。大半の宇宙論研究者,余剰次元など考えたくないという研究者も,インフレーション理論に代わる理論がありうることを納得するはずだ」。
 例えば2つのモデルでは,ビッグバン時の特異点を避けるため,ビッグバン以前に収縮していた昔の宇宙に外向きに強い力が働いて,1点に崩壊するのが避けられたのだと考える。この力は奇妙な粒子からなる「ゴースト凝集体」という流体から生じ,理論上は暗黒エネルギーよりも強い力をもたらす可能性がある。これら2つのモデルは,ペンシルベニア大学の理論物理学者オブルト(Burt Ovrut)らの研究チームと,国際理論物理学センター(ICTP)のクレミネッリ(Paolo Creminelli)がハーバード大学の宇宙論学者セナトーレ(Leonardo Senatore)との共同研究によって,それぞれ独立に考案した。

 

 

“健忘症”の宇宙

 特異点を避けるもう1つの方法は,時空が本来持っている特性に注目することだ。ペンシルベニア州立大学の理論物理学者ボジョワルド(Martin Bojowald)は,ひも理論の代わりに「ループ量子重力理論」に基づいて計算し,極めて小さな世界では時空が互いに反発し合うようになって,1点への崩壊が避けられることを示した。このモデルでは,ボジョワルドが「健忘症宇宙」と呼ぶものが現れる。ビッグバン後の宇宙は過去の特性の一部を“忘れ”て,以前とは無関係の新しい特性を獲得する。
 これらの新しいバウンシングモデルによると,ビッグバン後に残る重力波は極めて弱くなり,インフレーション理論の予測値に比べて50ケタも小さくなる。もしも次世代の宇宙背景放射観測衛星プランクなど,より高感度な装置によっても,インフレーションと重力波によって引き起こされたはずのマイクロ波背景放射の歪みが検出されなかったなら,その「歪みなし」という結果は,宇宙にビッグバン以前の時代があったという説を支持する材料となる。
 「いまのところインフレーション理論のほうが圧倒的に優勢だというべきだろう」とクレミネッリはいう。「だが最終的には,どちらが正しいかは観測データが決める」。

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