SCOPE & ADVANCE

時間の本質を探る時が来た

過去から未来へ一方向にのみ時が流れるのはなぜか?
本質的な謎に取り組む時がやって来た

 

 

 「Emoclew dna olleh」──去る10月にニューヨーク科学アカデミーで開かれた会議の冒頭,コロンビア大学のひも理論研究者グリーン(Brian Greene)はそう切り出した。「いまの私の言葉を,時間を逆転させて『Hello and welcome(こんにちは,ようこそ)』と理解できた方は,おそらくこの場にいる必要はないでしょう」。
 立ち去る人は1人もなかった。会議には世界最高の理論物理学者と宇宙論研究者が多数出席し,時間の謎に取り組んだ。望遠鏡観測の新たな結果と量子重力に関する新しい理論研究をうけて,時間を再考する時がきた。「時間に関する古典的な問題を,別の難問に置き換えることによって答えを探る」とマサチューセッツ工科大学の宇宙論研究者テグマーク(Max Tegmark)はいう。

 

「時間の矢」はなぜ生じるのか

 ちょっと見たところ,時間は一方通行の道路のようで,非常に単純なものに思える。スクランブルエッグは元の卵に戻らないし,目尻の小じわは消えず(美容整形でもしない限りは),祖父母が自分より若くなることもない。だが,宇宙の基本法則は時間的に対称なようだ。つまり,時間の方向に影響されない。物理学の観点からは,過去・現在・未来は同時に存在する。
 矛盾に思えるこの状況を説明すべく,物理学者たちは100年以上にわたっていくつもの説を提案してきた。「時の流れは錯覚だ」とする心理学的な説や,「量子力学の何らかの未知の特性によって矛盾が解決する」といった物理学的な説などいろいろだが,どれも納得のいく説明ではない。1927年,天体物理学者エディントン(Arthur Eddington)はこの現象を「時間の矢」と名づけ,エントロピーと関連づけた。宇宙は年を取るにつれ,熱力学の第2法則に従って乱雑さを増し,不規則になっていくとする。
 だが,過去に秩序だっていたものがなぜ未来には不規則になるのか,その理由が説明できない。答えを求めてもあまりにとらえどころがなく,“まっとうな”研究から逸脱していると見なされることもあった。かの物理学者ファインマン(Richard Feynman)さえ,1963年のある会議で時間の矢について本名でのコメントを拒み,「ミスターX」の匿名とするよう求めた。

 

初期宇宙のありようと関連

 「この問題は科学と哲学の境界にあり,多くの人はそこがしっくりこないと感じている」というのは,今回の会議の共同主催者でノースカロライナ大学チャペルヒル校の物理学者であるメルシニ=ホートン(Laura Mersini-Houghton)だ。「過去20年間はこれといった進展がなかった」。
 しかし,天空を調べる強力な機器が登場したおかげで,事態は変わってきた。ビッグバンの名残である宇宙マイクロ波背景放射は,誕生38万年後の宇宙が,均等に分散し高い規則性を持った高温ガスで満たされていたことを示している。初期宇宙はその後も膨張を続け,星や原子が不均一に集結した現在のような宇宙ができてきた。
 しかし,初期宇宙がなぜそれほどまでに規則的だったのか(そんな状況はほとんどありえないと物理学者たちは考えている),なぜそんな急膨張が起こったのかは,依然として謎だ。カリフォルニア工科大学の宇宙論研究者キャロル(Sean Carroll)は「時間の矢問題の本質は,初期宇宙がなぜそういう状態だったのかという点に帰結する」という。さらに,現在の宇宙は別の膨張期にあり,謎の暗黒エネルギーによって銀河は加速度的に離れ離れになっている。宇宙は永遠に膨張を続けてますます冷えていくようだ。

 

マルチバースが生んだ偶然の帰結?

 メルシニ=ホートンらは,この分野で最高の頭脳を会議に集めた。「もはやこの問題を隠しておくことはできず,何か別の方法で解決できるのではないかと考えた」からだ。グリーンやテグマーク,カナダのオンタリオ州にあるペリメター論理物理学研究所のスモーリン(Lee Smolin),アリゾナ州立大学のデイビス(Paul Davies),カリフォルニア大学のアルブレヒト(Andreas Albrecht)といった著名な物理学者たちが,ひも理論やブラックホール方程式,私たちの宇宙は多くの並行宇宙の1つであるという考え方などに基づいて,考えられる説明を提唱した。
 このなかで,奇妙なまでに整然とした初期宇宙を説明する仮説として支持を集めた(少なくとも語られる機会が多かった)のが,多宇宙(マルチバース)の考え方だった。「私たちの宇宙が多くのありうる宇宙の1つにすぎないというこの考えを受け入れれば,妥当性は高まる」とメルシニ=ホートンはいう。もっと混沌とした状態から始まった宇宙は存続できなかったか,知的生物が生きられるようには進化しなかったのかもしれない。こう考えると,時間が一方向に流れるこの宇宙は,さらにいえば私たちの存在も,偶然の出来事にすぎなくなる。
 何人かの参加者は,時間の理解は他の基本的な疑問を解くうえで極めて重要だと述べた。例えば,特異点(密度が無限大になるところ)で何が起こるか,宇宙膨張がいずれ反転して宇宙が崩壊に向かう可能性があるのかどうか,といった疑問だ。
 また,宇宙論的な意味合いのある観測データが増えたことで,時間や初期宇宙の本質に関して理論的な予言が可能になり,それらの予言を新たな観測によって検証できそうになってきた。メルシニ=ホートンは「以前より多くを観測できるようになっただけ,ちょっと大胆になれる」という。いよいよ“その時”が近づいてきたようだ。

 

 

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