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名伯楽逝く〜日経サイエンス2008年7月号より

ジョン・A・ホイーラー(1911~2008)

 

 量子論の創始者ボーアの直弟子で,アインシュタインの友人だった20世紀最後の物理学の巨人,ホイーラー(John Archibald Wheeler)が4月13日,96歳で死去した。ブラックホールの名付け親で,相対性理論や量子重力理論など幅広い分野で成果を上げたが,それ以上に,傑出した物理学者を数多く育てた名伯楽として知られた。ノーベル賞を受けたファインマン(Richard Feynman)や重力とブラックホールの理論で著名なカリフォルニア工科大学のソーン(Kip Thorne),量子コンピューター理論を提唱した英オックスフォード大学のドイチュ(David Deutsch)ら,独創的でしばしば型破りな研究者たちだ。
 「ホイーラーは次代の物理学に何が重要かを見抜く類まれな勘を持っていた」とドイチュはいう。常に物理学を幅広く見渡し,宇宙の本質を追究する新しい見方を提唱して,弟子たちを刺激した。
 晩年のホイーラーは自伝のなかで「最初私はすべては粒子であると思い,次にすべては場であると思い,今はすべては情報であると思っている」(抄訳)と語っている。「すべては粒子」との見方はファインマンに影響を与え,「すべては場」との考えはソーンらを触発した。「すべては情報」という主張は,ドイチュら量子情報の先駆者たちを生み出した。

 

誠実さ,信念,稚気…

 弟子の主張が自分と対立しても,決して止めなかった。プリンストン大学の大学院生エヴェレット(Hugh Everett ・)が,観測が起きると宇宙の数が増えるという理論(後に「多世界解釈」と呼ばれる)を提唱したときには,自説と正反対の主張だったにもかかわらず,理論の強みを解説する論文を書いた。
 テキサス大学の教授だったとき,食堂で同席した教官たちが,自分の学生の出来の悪さを互いに愚痴ったことがある。翌日,「私たちは学生に誠実であるべきだ」とのホイーラーの手紙が,学科の教官全員のポストに投げ込まれた。「優秀な学生にもそうでない学生にも,分け隔てなく目をかけた」と,教え子で元米国物理学協会会長のフォード(Kenneth Ford)は述懐する。
 戦中・戦後を通じて原爆と水爆の開発にかかわり,終生,その正当性を信じていた。強面の学者を想像するが,むしろ「いつも物腰柔らかく,誰に対しても丁寧だった」と周囲は口を揃える。自称“科学者”たちから「相対論の間違いを発見した」といった手紙が来ると,1人1人に返事を返した。その数は増える一方で,全員に返事が書けないことをいつも気にしていたという。
 ホイーラーには「子どものような一面があった」と,ケニヨン大学のシューマッカー(Benjamin Schumacher)はいう。彼の「鳴り物好き」は有名で,学生が成果を上げると,喜んで大学の廊下で盛大に爆竹を鳴らした。「この授業のなかから何か新しい発見が生まれたら花火をしよう」と,教室で花火に点火したこともある。
 2年前,弟子たちが開いた研究会に顔を出した。すでに体は弱っていたが,弟子たちの発言にかつてのように右の拳を突き出して「行け」と激励するしぐさを見せ,それが最後の姿となった。72年間連れ添った愛妻ジャネットを亡くして半年後,長年物理学を照らした巨星は,肺炎で静かに世を去った。

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