ウソを照らし出す〜日経サイエンス2008年10月号より
当人がウソをついているかどうかを,脳画像をもとに判定できるだろうか
英シェフィールド大学医学部教授のスペンス(Sean A. Spence)は昨年,ある女性の脳画像を撮影した。この女性は預かっていた子どもに毒を飲ませたとして有罪判決を受けていたのだが,犯行を否認しているときの脳画像のほうが,真実を話していることを示しているように見えた。
この研究は他の2件とともに,英国の公共テレビ「チャンネル4」向けに番組を制作している会社の資金提供でなされ,チャンネル4は『ライ・ラブ(Lie Lab)』という番組の一部としてこれを放送した。また,研究結果は後にEuropean Psychiatry誌に掲載された。
ウソを検出するため,これまでは心拍数や血圧,呼吸数の変化など末端に現れる不安の指標をポリグラフで測っていたが,それに代わって機能的磁気共鳴画像装置(fMRI)で脳のなかを直接見ようというわけだ。fMRIは先の番組で多くの視聴者を釘づけにしたほか,起業家も引き寄せた。セフォス社(マサチューセッツ州)とノーライMRI社(カリフォルニア州)の2社は真実を話しているか否かを90%以上の確度で推定できるという。
しかし,多くの神経科学者と法学者はそうした主張を疑問視する。脳画像に基づくウソ検出は実用にほど遠く,ウソの本質と脳についてさらに研究が必要だとみる専門家もいる。
過去の研究の難点
fMRI装置は脳の活動領域への血流を追跡する。ウソをつくときに脳は余分な作業を強いられ,その活動領域への血流が増える,というのが,fMRIによるウソ検出の前提だ。血流が増えた領域は脳画像中で明るく光って見える。ウソ検出研究で光った領域は主に意思決定に関与していた。
マッカーサー財団は昨年,fMRIや神経科学の発見が法律にどう影響するかを調べるため,1000万ドルを支出して3年間の「法律・神経科学プロジェクト」を立ち上げた。このなかで,脳画像技術を使った正確で信頼できるウソ検出の基準づくりを試みる。「現在の技術では,判定結果を信用するのは不可能だと思う」と,同プロジェクトのウソ検出研究班長を務めるワシントン大学医学部(セントルイス)の神経科学者ライクル(Marcus Raichle)はいう。「だが,ウソ検出が可能かどうかを判定する研究なら,不可能ではない」。
昨年のAmerican Journal of Law and Medicine誌に掲載された総説は,過去の研究の欠陥と,この技術を前進させるのに必要な事項を検討している。スタンフォード大学のグリーリー(Henry T. Greely)と現在ブリティッシュコロンビア大学にいるイレス(Judy Illes)によるもので,これまでのウソ検出研究(たかだか20件弱)では,「fMRIが現実に使われるウソ発見器として有効だとは証明できていない」と結論づけた。
それらの研究は個人ではなく集団を調べたものがほとんど。再現性のない研究結果もある。また,被験者は健康な若い成人で,血圧調整剤を服用している人や血流障害がある人に同じ結果を適用できるか不明確だ。さらにグリーリーらは,脳画像で光った領域の特異性に疑問を持った。それらの領域は記憶や自己監視,意識的な自己認識など,さまざまな認知行動とも相関していると指摘する。
最大の難問は,実験の状況設定をいかに現実に近づけるかだ。手札がスペードの7かどうかについてウソをついた場合と,街角の店に強盗に入ったのかという質問に答える場合とでは,大脳皮質の同じ領域が活動するとは限らない。この点については法律・神経科学プロジェクトが新研究で検討しているが,これまでで最もリアルな研究はテレビ番組『ライ・ラブ』に登場した例かもしれない。
一方,セフォスとノーライMRIは新データなど待たずに,技術を売り込んでいる。セフォスは,無実の罪に問われていると主張する人に対し,脳スキャンが法廷から許可される一定基準を満たしている場合には,無償で脳スキャンを提供中。脳画像が法的証拠として認められれば,儲けの大きい巨大市場が出現する可能性がある。同社の社長ラーケン(Steven Laken)は,脳画像によるウソ検出技術は精度97%を達成しており,グリーリーらが指摘した問題点についても,同社の手順でスキャンした100人以上のデータによって,多くが解決したと主張する。
難しい有効性の実証
一方のグリーリーらは,安全性と有効性が臨床試験で証明されるまで,研究外の使用を禁じるよう求めている。だが,認可を取り付ける試験は技術的に難しいかもしれない。役者やプロのポーカープレイヤー,反社会性人格障害者を,ごく平均的な人たちと比較することになる。社会的背景も考慮しなければならない。「食事はあまりおいしくなかった」というたわいのないウソと,性的な過ちについてのウソを比較して,脳が同じように反応することを確認しなければならない。
乱用の心配もある。グリーリーは「誤判定のせいで誰かの人生が狂う危険もある」という。「脳画像が誤った使われ方をしたら,この分野の科学全体が評判を落としかねない」。ポリグラフが長年にわたって議論を起こしてきた歴史を考えると,社会的な相互関係を左右する基本的な資質を診断する新手法を取り入れるうえでは,拙速を慎むのが賢い道かもしれない。