SCOPE & ADVANCE

近づいているのが聞こえない〜日経サイエンス2008年11月号より

ハイブリッド車には接近を知らせる人工音源が必要?

 

 

 ハイブリッド車人気の一番の理由は燃費のよさだ。だが,標準的なミニバンの所有者である私としては,あまり話題にならない別の点も羨望の的。電気モーターで運転している際の静かさだ。
 だから「ハイブリッド車は静かすぎる」という研究結果をまとめたという話をある大学院生から聞いて,おやっと思った。歩行者に注意を促すため,ハイブリッド車に警告音発生装置を取り付けるよう提言している。トヨタ・プリウスに耳障りな警笛音やマセラティのような轟音を出させようとでも?
 確かに根拠はあるようだ。カリフォルニア大学リバーサイド校の知覚心理学者ローゼンブラム(Lawrence D. Rosenblum)の実験では,被験者に目隠しをし,時速8kmで近づいてくる自動車の録音を聞かせた。ホンダ・アコードの内燃エンジン音の場合は36フィート(11m)離れたところでわかったが,電気モードで走行中のプリウスの音には11フィート(3.4m)に近づくまで気づかなかった。つまり,車が自分の位置に達するまでの余裕は2秒に満たない。実験で聞かせたのは対象の自動車の録音だけで,交通騒音など他の注意をそらす刺激は含んでいない。
 ローゼンブラムはその後,背景に現実的な騒音を加えた録音を使って実験している。私自身もこの実験を体験させてもらった。プリウスの音にはまったく気づかず,車は何度も何度も滑るように通り過ぎていく。私も他の大多数の被験者と同様,ハイブリッド車に40回も轢かれていたことになる。対照的に,アコードの音の場合は平均で22フィート(6.7m)に近づいたところで,接近と車の方向を40回とも正しく認識できた。
 こうした実験結果が実世界にそのまま当てはまるかどうかは定かでない。ハイブリッド車が一般の自動車と比べて歩行者事故を多く起こすという具体的な証拠はない。また,ウェスタンミシガン大学の最近の調査によると,走行時速が30km以上の場合,ハイブリッド車と従来の自動車で安全性の差はない。そうした速度では,歩行者に聞こえるのはタイヤと風切り音がほとんどで,エンジン音の影響は無視できるからだ。信号待ちからの発進時についても,ハイブリッド車の安全性が確認された。調査対象となったプリウスの全車種は,停止状態から加速するときにはガソリンエンジンを動かす。

 

動き出した対策

 しかし,科学的確証(あるいは事故死の実例)を待たずに多くのグループが行動を起こしている。米国自動車技術者協会(SAE)は昨年11月,歩行者,特に目の見えない人のために,ハイブリッド車を音でわかるようにすべきかどうかを検討する特別委員会を設置した。4月には同様の問題に取り組むための法案が連邦議会議員によって提出され,6月には米運輸省道路交通安全局(NHTSA)がこの問題に関する公聴会を開いた。  ハイブリッド車に音源を加える処置は必然かもしれないが,少なくともけたたましいものである必要はないだろうとローゼンブラムはいう。このありがたい見方の根拠になっているのは,私たちの脳が,静止あるいは遠ざかっていく音よりも,近づいてくる音をずっと敏感に知覚するという事実だ。何かが近づいてくる音は危険を示す場合が多いので,運動に関連する脳領域をすぐに刺激する。また,しだいに大きくなる音に反応するよう特別に調整された脳細胞が多数存在する。そうした音はたいてい,近づいてくるものを意味する。  したがって警告音は,適切な種類の音であるなら,かすかでよい。甲高い音や警報などはむしろ気を散らすだけで役立たないとローゼンブラムやエンハンスト・ビークル・アコースティックス社(カリフォルニア州サンタクララ)のマイヤー(Everett Meyer)はいう。歩行者に注意を促す最良の音は,自動車らしい音だろう。穏やかなエンジン音やタイヤ音のような音だ。  一方,ウェスタンミシガン大学のウォールエマーソン(Robert S. Wall Emerson)は自動車が将来さらに静かになると予測する。天然ガス自動車のなかにはすでにハイブリッド車よりも静かなものがあるという。彼の最新の研究では,皮肉にもハイブリッド車のほうが多くの内燃エンジン自動車よりもやかましいことが示された。歩行者の安全はハイブリッド車が抱える問題ではなく,静かな自動車の問題だと彼は指摘する。

サイト内の関連記事を読む