SCOPE & ADVANCE

小さな小さな大問題〜日経サイエンス2009年3月号より

個々の原子の位置を特定する──それがナノ構造利用のカギだ

 

 ナノテクの領域では,個々の原子の位置がすべてを決める。その物質が半導体として機能するか絶縁体となるか,重要な化学過程を引き起こすのか停止させるのかといった違いは,どの原子がどの位置を占めているかによる。ナノ粒子中の全原子を正確に把握できれば,材料の特性と挙動を完全に制御できるだろう。しかし電子顕微鏡や走査トンネル顕微鏡といった原子レベルの画像技術でも個々の原子の正確な数値座標までは得られない。
 「ナノ構造の美しい写真には想像力をかき立てられる。しかし1枚の写真が1000の言葉に値するなら,原子の正確な数値座標を記した1つの表は1000枚の写真に値する」というのは,コロンビア大学と米国立ブルックヘブン研究所で「ナノ構造問題」を研究しているビリンジ(Simon Billinge)だ。ビリンジらはいろいろな方法を複合し,在来技法を新たな方法で用いる道を追求している。

 

在来の構造解析は通用せず

 通常の固体はいわゆる長距離秩序(周期構造,結晶構造)を備えているので,正確な原子構造を把握するのは,ナノ構造の固体とは違って比較的簡単だ。長距離秩序は規則的な構造の繰り返しで,この構造は原子・分子レベルでは大きく違わない。
 そうした物質の解析には,散乱による結晶構造解析が用いられてきた。X線または中性子のビームを物質試料に当てると,原子はビームを散乱・反射し,「ブラッグ回折ピーク」というパターンが生じる〔1903年にこの現象を発見したブラッグ(Sir William Henry Bragg)とその息子にちなむ〕。ブラッグ・ピークは原子層の間隔に関係しており,その詳細から物質の周期的な原子構造を数学的に決定できる。この強力な手法によって,宇宙塵から人間のDNAまで多くの物質の原子構造が明らかになった。
 しかし,結晶構造解析からはナノスケールで必要とされるような解像度は得られない。ナノスケールでは,はるかに短い距離で構造的な違いが生じているからだ。ナノ材料を伝統的な結晶構造解析法で調べると,「ブラッグ・ピークは基本的に広がり,完全に重なって区別できなくなる」とビリンジは説明する。「結晶構造解析の手法は機能しなくなる」ため,原子の位置を決定できない。正確な構造データなしには,ナノテクによるモノづくりは近似と推測の域を脱しない。

 

原子対相関関数でモデル化

 簡単で汎用的な解決策は見当たらないので,研究者たちは多様な画像技術と数学的手法を組み合わせることで,ナノ構造問題に対処しようとしている。さまざまなデータセットから正確で有用なモデルを構築する戦略で,「複合モデリング」と呼ばれる。
 ビリンジはガラスや液体など非結晶物質の検査に用いられてきたアプローチと結晶学を組み合わせた。「原子対相関関数(PDF)」と呼ばれるものを利用する。この関数は,原子からある距離だけ離れたところに別の原子が存在する確率を示すもので,そこから得られる統計的データをもとに構造を計算できる。「実はブラッグ・ピークの間にも情報が存在する。それを具現化したのが原子対相関関数の技法だ」と米国立アルゴンヌ研究所ナノスケール物質センターのセンター長代行ストライファー(Stephen Streiffer)は説明する。
 2006年,ビリンジらはC60の構造を第一原理から計算で求め,原子対相関関数を用いることの有効性を示した。その後も多くのアルゴリズムを開発し,他のナノ構造を再現してきた。
 こうした巧妙なアルゴリズムも不可欠だが,画像技術も引き続き改善する必要があるとストライファーは指摘する。「X線ビーム中に1個のナノ物体を置くと,その形状だけでなく,ナノ構造を形成している全原子の位置と化学的種別がわかる──そんなX線顕微鏡が待ち望まれている」。アルゴンヌ研究所同センターのボード(Matthias Bode)は,分光法(光の吸収または放出に基づいて物質を調べること)も画像技術の武器になるだろうという。「ナノ科学で何をしたいかというと,ナノスケールで作用する特性を備えた構造と関連がある。分光法を利用すれば,粒子のサイズや形状と特定の電子的・磁気的特性とを結びつけられるだろう」。
 ナノ構造問題への対処は,「特定機能を備えたナノ物質を自由に設計する」というナノテクの究極の目標を達成するカギになるだろう。「ゴールがはるか彼方にあることは確かだ」とビリンジは認める。しかし,「これは中身の濃い刺激的な問題だ。それが未解決なのはうれしい気がする」という。「とてもやりがいのある挑戦だ」。

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