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不滅の量子効果〜日経サイエンス2009年4月号より

「量子もつれ」が崩れた後も,ある種の効果は生き残るらしい

 

 アインシュタイン(Albert Einstein)が量子もつれを「気味の悪い遠隔作用」と呼んでまともに扱わなかったのは有名な話だ。量子もつれ状態の物体は関連性を保ち,距離によらず瞬時に影響し合う。最近,この薄気味悪い作用が,ある意味で“死後”にまで及ぶかもしれないという,さらに奇妙な可能性が指摘された。量子もつれが崩れた後にも,その効果がなお“生き残る”というのだ。
 量子もつれは量子コンピューターと量子暗号にとって不可欠の基礎となるもので,実験には光子のペアを使う。量子もつれ状態になった光子の一方を測定すると,その影響が直ちに他方に現れる。両者がどんなに離れていても,理論的には瞬時に影響が及ぶ。現在の最長記録はカナリア諸島のラ・パルマ島とテネリフ島の間で実験された144kmだ。
 実際の量子もつれは非常にデリケートな状態で,周囲からの擾乱によってすぐに壊れてしまう。量子計算が可能なのは量子もつれが存続している間だけなので,これは特に量子コンピューターにとっては悩みのタネだ。しかしマサチューセッツ工科大学の量子物理学者ロイド(Seth Lloyd)は今回初めて,量子もつれが崩れた後にその“記憶”が残りうることを示した。彼はこの効果を,エミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』にたとえてみせる。「キャサリンの幽霊が,墓の向こうからの一筋の閃光として,クアンタムな(最愛の)ヒースクリフと交信するのだ」。

 

もつれ光で照らすと…

 ロイドの今回の発見は,量子もつれ状態の光子を照明に使ったらどうなるかを考えたのが発端だ。1つの可能性として,より鮮明な写真が撮れるかもしれない。フラッシュ撮影は撮影対象に光を当て,その反射光をとらえて画像を作るが,他の物体からの迷光が紛れ込んで反射光とごっちゃになると写真はぼけてしまう。しかし,量子もつれ光子を発するストロボなら,反射してきた光子と参照用に保存しておいた相方の光子の相関を利用して反射光だけを選び出し,迷光などのノイズをより容易に除去できるだろう。
 ただ,量子もつれの壊れやすさからして,この量子照明がうまく働くとはロイドも思っていなかった。しかし,ノイズ環境下で撮像できるセンサーの開発を目指す米国防総省高等研究計画局(DARPA)のプログラムから研究資金を得ようと「必死だった」と彼は回想する。量子照明の可能性を計算したところ,ちゃんと機能するだけでなく,驚いたことに「量子照明の実力を完全に引き出すには,すべての量子もつれが破壊される必要があることが判明した」という。
 この発見が不可解であることはロイドも認める。彼だけではない。ノースウェスタン大学の量子物理学者クマール(Prem Kumar)はロイドの数理解析を見るまで,量子照明など役に立たないだろうと懐疑的だった。「現在は誰もが頭を抱えてこの問題を考えている。答えが出るどころか,疑問噴出だ」という。「量子もつれが生き残らず,しかし何らかの利点が得られるとすれば,利点をもたらす一端を量子もつれが担っているのか,あるいは別の要因がからんでいるのか──理論家たちは見極めを迫られている」。
 考えうる説明として,光子間の量子もつれが実質的には完全に失われても,量子もつれのかすかな気配が測定後にそのまま残るのかもしれないとロイドは推定する。「光子は状態の重ね合わせであるとみなせる。これらの状態のほとんどが量子もつれを失っても,1つか少数の状態はもつれたままで,このわずかな部分が効果をもたらしている」。
 量子照明が機能したら,レーダーやX線装置,光通信,顕微鏡の感度を現在の100万倍以上に高められるだろうとロイドはみる。軍事用の撮像装置も,より弱い信号で機能するるので,敵に気づかれにくいものになるだろう。ロイドらはScience誌9月12日号に理論研究に関する論文を発表したのに続き,量子照明の実際的な応用・実現法を詳しく述べた論文をPhysical Review Letters誌に提出した。

 

待たれる検証実験

 量子照明の効果を実証するのは非常に難しいだろう。量子もつれ光子を作り出すのは比較的簡単だ。ビームスプリッターとして働く特殊な「ダウンコンバート結晶」に光を通すだけでよく,量子もつれになった光線が別々に出てくる。一方の光ビームで物体を照らし,他方は参照用に取っておく。次に物体から戻ってきた光と参照光を融合する(両者をビームスプリッターに導き,先ほどとは逆向きに通す)。量子もつれ関係の光子は再結合を起こしやすく,「アップコンバート」される。
 しかし,撮像感度を高められることを証明するには弱い信号を使って実験する必要があり,かすかな光を高効率でアップコンバートできる材料を作るのは気が遠くなるほどの技術的難題だとクマールはいう。それでもロイドは,今年中にはそうした検証実験が行われる可能性があると予想している。
 量子照明は撮像感度の向上のほか,量子計算や量子暗号にも役立つだろうとクマールはみる。「量子の世界は実にエキゾチックで複雑だ。いつだって至る所に思いもよらぬ驚きが潜んでいる」。

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