SCOPE & ADVANCE

炭素を挽いてグラフェンに〜日経サイエンス2009年5月号より

期待のナノ材料が量産に向かって一歩前進

 

 シリコンはデジタルの世界を一変させたが,研究者たちは集積回路をより小さく・速く・安くする物質をいまなお躍起になって探している。最も有望なのはグラフェンだ。炭素環が蜂の巣状に連なった厚さわずか1原子分の平面シートで,超高強度,透明性(薄いので),非常に高い電子伝導性といった特性を持つため,曲げられるディスプレーや超高速の電子回路への応用が期待されている。グラフェンが単離されたのはわずか4年前だが,すでにトランジスタやメモリーなどが試作された。
 しかし,研究室からお店の棚に移すには,純粋な単層グラフェンの大きな均一シートを大量生産する方法を考案する必要がある。いくつかの方法が追求されているが,どれが成功するかはまだ不明だ。ライス大学の化学者ツアー(James M. Tour)は「グラフェンの単層シートでシリコンウエハーの表面全体を低コストで被覆できると主張しているグループが複数あるが,これまでのところ誰も公式には実証できていない」という。

 

黒鉛を削る

 グラフェンの発見者である英マンチェスター大学のガイム(Andre K. Geim)は,少量なら生産は驚くほど簡単だという。実際,「紙に鉛筆で線を引くたびに,わずかなグラフェンが生まれる」。鉛筆のグラファイト(黒鉛)は実はグラフェン層が積み重なった物質だ。最初のグラフェン製法は鉛筆書きによるグラフェン作りと同じようなもので,まずグラファイトを削り落とし,顕微鏡を使って適切な破片を探すか,粘着テープを使って個々の破片を分離していた(A. K. ガイムら「グラフェン 鉛筆から生まれたナノ材料」日経サイエンス2008年7月号参照)。
 こうした機械的「剥離」では少量生産がせいぜいだというのが大方の科学者の見方だが,ガイムは必ずしもそうではないという。「処理手順のスケールアップで,最近はグラフェンを好きなだけ作れるようになった」。ガイムは超音波を使ってグラファイトを個々の層に分解し,これを液体中に分散させた。この懸濁液を物体表面で乾かすと,グラフェン結晶の破片が重なり合ってできた膜が残る。ただ,複数の結晶でできたこうしたシートが多くの用途でうまく機能するかどうかは不透明だ。個々の破片の境界によって,電子の急速な流れが邪魔される傾向があるからだ。

 

化学的に引き剥がす

 化学的な剥離を利用すると,より大きな試料を作れるかもしれない。昨年5月,ウィスコンシン大学プラットビル校のハミルトン(James P. Hamilton)とアイルランドにあるダブリン大学トリニティ・カレッジのコールマン(Jonathan N. Coleman)は共同で,グラフェンが特定の有機溶媒に溶けることを示した。「バケツにグラファイトを入れ,有機溶媒をぶっかけて溶かす。それから溶媒を取り除くと,純粋なグラフェンからなる灰色の材料が得られる」とハミルトンはいう。彼が興したグラフェン・ソリューションズ社はこうして得たグラフェンを均一な単結晶シートに変える計画で,いずれはこの製法を商業化したいと考えている。
 別の化学的剥離法も考えられている。現在はテキサス大学オースティン校に所属するルオフ(Rod Ruoff)はノースウェスタン大学にいた当時の同僚とともに,水中のグラファイトに酸を加えると酸化物が生じ,個々の薄片に分離できることを示した。液中に浮遊する薄片を基板上に堆積させると,膜ができる。別の化学物質を加えるか加熱すると,酸素を含む化学基が追い払われてグラフェンになる。
 こうした酸素除去剤の1つとしてロケット燃料が有効であることを,ラトガーズ大学の科学者たちが発見した。具体的にはヒドラジンのガスで,反応性の高い毒物として知られる。昨年,カリフォルニア大学ロサンゼルス校のヤン(Yang Yang)とケイナー(Richard B. Kaner)は液体のヒドラジンを使ってラトガーズ大学の方法を簡素化した。ヤンは「その後,グラフェン薄片をシリコンウエハーやもっと柔軟な基材の上に堆積させた」という。多くの微小薄片からなる単層膜ができる。2人は現在,シートの特性改善と,ヒドラジンに代わる安全な物質の探索を続けている。

 

CVD法にも注目

 マサチューセッツ工科大学などいくつかの研究機関では,化学気相成長法(CVD)の利用に注目している。CVDは半導体チップの製造にすぐにでも組み込める確立ずみの処理だ。揮発性の化学物質が基板と反応し,自ら薄膜となって基板上に堆積する。
 マサチューセッツ工科大学の電気技術者コング(Jing Kong)は単純な管状の加熱炉にニッケル基板を置いて実験している。「炉の一端から炭化水素ガスを流し込むと,熱で分解する」。炭素原子はニッケル基板の上に落ち,ニッケルが触媒として働いて,炭素がグラフェン薄膜になる。ただし,このグラフェンの品質はニッケル基板が多結晶か単結晶かによって変わってくるという。残念ながら,最も望ましい単結晶ニッケルは高くつく。
 それでも,CVDによるグラフェン製造は最大級の成功につながった。韓国にある成均館(ソンギュンガン)大学のホン(Byung Hee Hong)のグループは,透明で曲げられる高分子材料の上に高品質のグラフェン膜でパターンを作った。透明電極のできあがりだ。さらに改良を加えれば,ディスプレーに使われている高価な透明電極(通常はチタン酸インジウム製)を置き換えられるかもしれない。
 最終的にゲームに勝ち残るのは複数かもしれない。ダブリン大学のコールマンは「溶液ベースの化学剥離法で幅が最大で数十μmのグラフェンができており,これはおそらく中規模の量産に最適だが,世界の半導体メーカーはCVD的な処理によって大面積にグラフェンを成長させたいと考えるだろう」という。CVDで作られた試料の大きさはこれまでのところ数cm2止まりだ。
 しかし幸いなことに,どの方法も克服不能なほどのハードルはなさそう。ライス大学のツアーがいうように,「問題は1~2年内に解決されるだろう」。

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