SCOPE & ADVANCE

試験管内の進化〜日経サイエンス2009年6月号より

自己複製するRNAが作られた──人工生命体の創出に向けた新たな一歩だ

 

 実験結果を見て,スクリプス研究所の教授ジョイス(Gerald F. Joyce)はすぐにも論文発表したい思いに駆られた。研究室の学生リンカーン(Tracy Lincoln)とともに何年も探し求めていた2つのRNA配列をついに発見したのだ。RNAの原材料となる単純な分子の混合物にこれらの短いRNA鎖を混ぜると,倍々に数が増えて数時間で10倍になり,スペースと原材料がある限りいつまでも複製を続けるだろう。
 だが,ジョイスは完全には満足していなかった。53歳になるこの分子化学者は「RNAワールド」仮説の提唱・推進者の1人だ。RNAワールド仮説は,私たちが知る生命,つまりDNAと酵素タンパク質,主に遺伝情報の単なる運び屋として働くRNAに基づく生命が,ほぼRNAだけ,あるいは完全にRNAのみに基づく単純で前生物的なシステムから進化したという考え方だ。
 もちろん,この説が成り立つにはRNA自身が進化を引き起こせなくてはならない。ジョイスは新合成のRNAによって,そうした進化の可能性を証明できるかもしれないと考えた。そこでリンカーンとともにもう1年を費やし,このRNA分子を突然変異させて,最適なものだけが生き残るように競争させた。

 

ダーウィン的進化をほぼ再現

 ダーウィン生誕200周年を1カ月後に控えた今年1月,その結果がScience誌オンライン版に発表された。彼らが作り上げた試験管内の小さなシステムは,ダーウィン的進化に必要なほぼすべての特徴を現した。用意した24種のRNA変異体は,周囲の環境条件に応じてあるものは他よりも速く複製・増殖した。それぞれの分子種は原材料をめぐって他者と競争した。そして複製過程には不完全なところがあり,じきに新たな変異体(ジョイスは「組み換え体」と呼んでいる)が出現して,それらが栄えて勢力を増す場合もあった。
 「システムを100時間走らせる間に,自己複製分子の数が全体で1023倍に増えた。当初のタイプは間もなく死滅し,組み換え体が集団を占め始めた」とジョイスは回想する。しかし,どの組み換え体も,新しいことはできなかった。つまり“祖先”ができなかった何かを実行する新機能は持っていなかった。
 この重要な要素を欠いているので,今回の人工的な進化は本物のダーウィン的進化とはまだ隔たりがある。「これは生きてはいない」とジョイスは強調する。「生命では新しい機能がゼロから生まれてくるが,今回のシステムはそうなっていない。実験室で生命を作り出すという最終目標を達成するには,このシステムの複雑性を高めて,人工的に付与された機能をシステムが単に最適化するのではなく,新機能をゼロから創出できるようにする必要がある」。
“遺伝子”部分はまだ2つ
 この目標は達成可能だろう。というのは,ジョイスらのRNA自己複製子は比較的単純で,変異可能な部分(遺伝子に相当)が2つしかないからだ。
 自己複製子はそれ自身が酵素の働きを持つRNAで,自分と相補的な配列をした2つの“遺伝子”と結合した後,その2つをつなぎ合わせる。こうしてできたRNAは複製子の「相方」となるわけだ。この相方が同じように働き,今度はもとの複製子と同じ配列のものを作り出す。
 相方が不正確に働いて,通常は結びつかないような遺伝子を結びつけてしまうと,組み換え体が出現する。しかし,組み換え体は新たな遺伝子は生み出さなかった。組み換え体に新遺伝子ができるようなシステムを作ったり,それぞれの自己複製子にもっと多くの遺伝子を与えてそこに自己複製子を作用させるなど複雑性を高めたりすることも可能だろう。

 

分子レベルで探る「生命の起源」

 生物進化は分子レベルではまだ謎が多いが,DNA酵素に関する先駆的研究で知られるイリノイ大学の化学者シルバーマン(Scott K. Silverman)は「ダーウィン的進化を示すような新分子を作れば,生物進化の基本原理をもっとよく理解できるだろう」と期待する。例えばジョイスとリンカーンは実験の事後分析で,最も上出来の組み換え体3種が1つのクリーク(小集団)を作っていたことに気づいた。クリークを構成する3種のいずれか1種が複製エラーを起こした場合には必ず,他の2種のどちらかができる。
 人工生命体創出に向けた次の大きな一歩は,複製だけでなく代謝もできるような分子群を作る(または進化させる)ことだろう。ハーバード大学医学部の遺伝学者ショスタク(Jack W. Szostak)は代謝に非常に重要なエネルギー運搬分子ATP(アデノシン三リン酸)に結合する人工タンパク質を開発した。また,ミセルという脂肪酸の微小カプセルにRNAを封入して,自発的に形成・合体・複製を起こすプロトセル(原始細胞)を作る試みにも挑んでいる。
 RNAなどの基礎的な化合物で人工生命体を何とか作り出せたとしても,そうした人工システムは複雑すぎて,40億年前に自然の生命が同じように誕生したという証明にはならないだろう。ジョイスの複製子はたかだか50の化学文字でできているが,そうした配列が偶然に出現する確率はざっと1/1030だと指摘する。「これが6文字,せめて10文字くらいだったなら,原始スープのなかでそうした配列が自然に組み上がった可能性があるといってよいかもしれないが」。

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