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がん化のプログラム〜日経サイエンス2009年8月号より

通常は胎児の発生段階だけで働く遺伝子が,がん細胞では再び活性化している

 

 がんは単一の病気ではなく多数の病気が集まったものだ,という見方がある。個々のがん細胞がそれぞれ異なる機能不全に陥っているように見えるからだ。細胞のDNAに起きたランダムな突然変異のせいで異常が生じてくる。そうしたランダムな変異が蓄積する結果,同じ組織にできた腫瘍でも患者によって性質がさまざまに異なってくるのだと考えられている。
 だが,がん細胞の悪性化に一種の規則性があるという研究結果が増え,がんの本質を見直す動きが出てきた。 

 

共通の遺伝子活性パターン 

 ハーバード・MIT健康科学技術部門のコハネ(Isaac S. Kohane)は数十種類の組織から採取した腫瘍を分析し,驚いたことに,がん細胞の遺伝子活性がよく知られたパターンに従っていることを発見した。胚や胎児の発生段階に活性化するのと同じ指令が働いているのだ。初期胚の成長や,胎児の段階で四肢などの構造形成をもたらす遺伝子群はふつう,その後の生涯を通じて活性化することはない。ところが多くの腫瘍細胞では,そうした遺伝プログラムのスイッチが再びオンになっている。
 発生のどの段階における遺伝子活性パターンに最も似ているかに基づいて腫瘍をグループ分けすると,その腫瘍の将来をある程度まで予測できることをコハネは発見した。例えば肺がんの場合,「悪性度と患者の余命が,遺伝子活性パターンの“初期度”に比例していた」という。
 肺がん以外のいろいろなタイプのがんでも同じことがいえることが,コハネによる最新の大規模な調査研究で示された。30種類を超えるがんと前がん組織の遺伝子活性を,発生段階を時間的に10に区分したそれぞれの遺伝子活性と比較することで,共通点のないように見えるこれらの疾患を3つにグループ分けできた。
 例えば胚発生の初期段階と同じ遺伝子活性パターンを持つものは肺腺がん,結腸直腸腺腫,T細胞リンパ腫,一部の甲状腺がんなどで,これらのうち特に攻撃的ながんは未分化で胚に近いように見える。妊娠後期の胎児と新生児の遺伝子発現パターンに近いものは前立腺がん,卵巣がん,副腎腺腫,肝形成異常などで,これらのがんは成長が遅いタイプだ。3番目のグループは,両者の活性パターンを併せ持つ混合型だった。

 

がんは「体細胞の妊娠」

  胚と腫瘍の類似性は「注目に値する」と,先駆的ながん研究者でルートヴィヒがん研究所ニューヨーク支部の所長を務めているオールド(Lloyd J. Old)はいう。「これが興味深いのは,がんと発生にいくぶん関連があるという考え方が昔からあるからだ」。例えば19世紀の病理学者ビアード(John Beard)は腫瘍と栄養膜(初期胚の一部で後に胎盤になる部分)に類似性があることに気づいた。「栄養膜が子宮に侵入したら,どんどん広がって血液供給の仕組みができる。また,母体の免疫系を抑制する」とオールドはいう。「いずれもがんの特徴だ」。
 オールドは過去に,腫瘍細胞と生殖細胞で共通の遺伝プログラムが働いていることを発見している。彼の現在の研究テーマの1つでもある「CT抗原(がん・精巣抗原)」は,精子や卵子になる生殖細胞系列と腫瘍細胞だけが作り出すタンパク質群だ。CT抗原のこの特異性を使えば,がんワクチンや抗体医薬の理想的な標的になるという。
 腫瘍でのCT抗原遺伝子活性化は容易に確認できる。「あなたや私が生殖細胞だったころに使ったプログラムと同じなのだから」。オールドはこれらの原初のプログラムが腫瘍内で再び活性化していることを確認し,がんを「体細胞の妊娠」と表現するようになった。

 

 

続く挑戦

 これら通常なら眠っているはずの遺伝子が腫瘍細胞ではオンになるという事実から,がんの重要な特徴はでたらめに生じたものではないとオールドは考えている。「これは根本的に異なる考え方だ。変異細胞が自分の増殖にプラスになる遺伝子を探し,一連の発生遺伝子のなかにそれを見つける。ダーウィン的起源というよりは,遺伝子プログラム的な起源が,がんの形質を生み出している」。
 しかし,がん化についてのこの2つの見方は必ずしも矛盾するものではない。マサチューセッツ工科大学のワインバーグ(Robert A. Weinberg)は,発生プログラムの活性化が突然変異の結果として起こっている可能性もあると指摘し,「突然変異が蓄積しても,識別可能なプログラムと齟齬を来すことはないようだ」という。
 ワインバーグは昨年,胚性幹細胞(ES細胞)が未分化のままでいられることに関与する遺伝子活性が,最も未分化で正常組織への侵入の激しい腫瘍にも共通して見られることを示した。
 ただし,胚で働いている原初プログラムがこれらのがんを生み出しているのかどうかはまだわからないとワインバーグは警告する。「興味深い考え方だが,現段階では非常に不確かだ。人間の形質すべてをがんの原因と考えて研究すれば,治療に役立つ知識が得られると期待することもできるだろう。だが,悪魔は細部に宿る」。

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