大空へジャンプ!〜日経サイエンス2009年8月号より
でかい翼竜がどのように飛び立っていたのか生体力学に基づく新説が登場
翼竜(プテロサウルス)という絶滅爬虫類がどのように飛び立てたのか,科学者たちは100年近く悩み続けてきた。小ぶりの翼竜なら鳥モデルで十分だ。静止状態から,あるいは助走しながら羽ばたけば飛び立てるだろう。だが大きな翼竜には翼幅8m,体重90kgに達するものもいて,鳥モデルは通用しない。
ジョンズ・ホプキンズ大学で機能解剖学と進化を研究するハビブ(Michael Habib)は,翼竜の離陸法が鳥とは異なっていたとみる。生体力学的な分析結果を踏まえ,静止状態から四肢すべてを使って空中にピョンと飛び上がっていたのだと提唱している。2本の後足で助走したり,高所から飛び降りたりしていたのではないという。
強力すぎる前肢
「もともと私は鳥を研究していた」とハビブはいう。「飛翔動物の力学的な限界に興味を持ち,自然と翼竜にたどり着いた」。
そうした限界の極端に位置するのが,ケツァルコアトルス(Quetzalcoatlus)のような翼竜だ。ケツァルコアトルスの骨は鳥の骨に似た中空構造だが,それでも体重は110~250kg,翼幅は約11mもあった。ちなみに飛べる鳥としては最大級のアホウドリの体重は約8kg,翼幅は3m強だ。ケツァルコアトルスが飛んでいたのは間違いないが,どうやって離陸したのか,説明がつかなかった。
ハビブは翼竜の腕の骨の形を解析し,前肢が飛翔時にかかるよりもずっと大きな応力に耐えられたことを計算で示した。しかし,大きな応力を経験しなかったとしたら,どうしてそんな頑丈な翼が進化したのか? その後ハビブは,大型翼竜の四足歩行と吸血コウモリに見られる四肢によるジャンプ離陸を結びつけた。大型翼竜が四肢すべてを使って地面から飛び上がっていたとすれば,超強力な前肢と謎に包まれていた翼竜の離陸の両方に説明がつくだろう。
しかし,何かをする能力があったというだけでは,実際にそうしていたとはいえない。また,翼竜が地面からどのように飛び上がったかをハビブのデータで説明できるのか,納得していない古生物学者もいる。英レスター大学の古生物学者で「The Pterosaurs: From Deep Time」の著者であるアンウィン(David Unwin)は,「論文原稿を読んでまず思ったのは,『うーむ,これは奇妙だな』という感じ。もっとも,翼竜を研究していると奇妙なことには慣れっこだが」という。
アンウィンは「大型の翼竜の場合に問題が生じる」という。「大型翼竜の飛行速度は時速50~65kmとかなり速い。静止状態からジャンプして飛び始めたとしたら,どうしてそんな速度に達しえたのか理解に苦しむ」。
カリフォルニア大学バークレー校の古生物学者パディアン(Kevin Padian)もハビブの結論の一部に疑問を呈する。小型翼竜(スズメほどの大きさのものもいた)は二足歩行であり,4本ではなく2本の足で飛び上がったとパディアンはみる。
翼竜研究者と“翼竜を調べた研究者”とのこうした不一致は,古生物学の領域にはよくあることだ。アンウィンもハビブも,これほど大きな生き物が飛べたという異常さのせいで,生体力学の専門家は生物学よりも物理学の視点から翼竜を見ているという。アンウィンは「翼竜の奇怪な特質が,古生物学以外の研究者の注目を引きつけてきた」という。「そのため古生物学以外から不相応なまでに多くの研究者が入ってきて,もともと翼竜研究者ではなかった多くの人が試しに空気力学を適用してみる,そんな状況になっている」。
それでも,ハビブが興味深い点を指摘したことは誰もが認める。生体力学的に興味深いだけではない。大型翼竜が崖から飛び降りなくとも離陸できたとすれば,生息できた場所が広がり,生態に関していろんな疑問がわいてくる。「謎が解けたと思うたびに,別の変化球がやってくる」とパディアンはいう。