SCOPE & ADVANCE

アバターの法的責任〜日経サイエンス2009年9月号

仮想世界のいざこざを裁く法律が必要かも

 

 仮想世界での行為は現実世界でどの程度の法的責任を問われるべきだろうか。ほとんどの人は「そんな責任などない」というかもしれないが,ネット上で実際に金融取引が行われオンライン・コミュニティーに参加する人がますます増えるなか,一部の法律家は,仮想世界にも法制度を広げる時期がきたのかもしれないと考えている。

 

バーチャル不倫で離婚訴訟 

 オンライン・コミュニティーへの参加者は世界で約1億人に上ると推定される。サンフランシスコにあるリンデン・ラボが創造した「セカンド・ライフ」は100万人のユーザーにパソコン上でのリアルタイム体験を提供する仮想世界だ。ユーザーは自分の分身となる「アバター」と呼ばれるキャラクターを使って,城や無人島などの風変わりな3D環境を歩き回る。ユーザーはアバターを通して多数のオンライン参加者と会って話すことができ,ソファで寄り添って仮想セックスすることさえ可能だ。
 そうした仮想体験にはまり込んだ結果,現実世界で問題が起こったとする例がいくつか報告されている。昨年11月,ある女性は夫のアバターが別の誰かと過度に親密になったという理由で離婚訴訟を起こした(夫は自分をバーチャル不倫に追い込んだのはオンラインゲームの「ワールド・オブ・ウォークラフト」にのめり込んだ妻のほうだと主張)。
 過失責任が争われる離婚訴訟の場合,こうした主張は完璧に正当なものとされるだろうというのは,ラトガーズ大学の法学教授で「Virtual Law(バーチャル世界の法律)」という本を執筆中のラストーカ(Greg Lastowka)だ。ただ,それは「夫はゴルフばかりで全然かまってくれない」といった愚痴のたぐいにすぎず,不倫には及ばないものだという。
 しかし平均的なプレーヤーは1週間に20時間も仮想環境で過ごしており,仮想行為への入れ込みようは法律家の想像以上だ。中国人ゲーマーのチュー(Qiu Chengwei)はオンラインゲーム「レジェンド・オブ・ミール3」のなかで仮想の剣を獲得したが,それを借りた友人がオンライン市場で800ドルで売り飛ばしてしまったため,チューは警察に駆け込んだ。仮想財産を守る法律はないといわれたチューは,その盗人を本当に殺してしまった。
 ラストーカは「仮想犯罪のせいで誰かが実際に死に,別の誰かが残りの人生を刑務所で送るとしたら,事態をもっと真剣に考えたほうがよい」という。

 

仮想世界は無法地帯か 

 さらに不明瞭なのは,現実世界なら犯罪になる行為を仮想世界のアバターどうしが行った場合だ。一例は「バーチャルレイプ」だというのは,サンフランシスコの弁護士で「セカンド・ライフ法曹協会」の創始者であるデュランスク(Benjamin Duranske)。同協会はセカンド・ライフ上で月に1度会合を持っている。
 デュランスクは自身のブログで,セカンド・ライフのベルギー人ユーザーが関与する強姦容疑の捜査を求めたブリュッセルの検察官について詳しく述べている。後にこの件は不起訴になったようだが,おそらくデュランスクがいうように「暴力を禁じた法律のほとんどは現実の人にだけ適用され,コンピューターキャラクターは対象外」だからだ。
 この事件は,1993年にディブル(Julian Dibble)がカルチャー雑誌ビレッジ・ボイスに報告した以前のバーチャルレイプ事件の再来だ。以前の事件はテキストベースの仮想コミュニティー「ラムダムー」で起きたもので,「ミスター・バングル」として知られるハッカーが関与した。ミスター・バングルは他のアバターを乗っ取り,暴力的で露骨な行為を記述させた。ディブルの記事をきっかけに1994年,ある会合がニューヨーク大学で開かれ,仮想コミュニティー運営者にメンバーのアカウントの制限や取り消しを求めるような「ネット上の自治」の可能性が討議された(ミスター・バングルの作成者はアカウントを取り消された)。
 実のところ,現在の仮想コミュニティーに参加するには「サービス規定」に同意しなければならず,運営会社は例えば厄介者のアカウントを一時停止することで紛争を収拾可能だ。しかし,新たなアカウントを設定して別の攻撃的キャラクターを作り出すのは簡単。また,ラストーカがいうように「仮想世界の運営者はユーザーを管理したいとは思っていない。単に利益を集めたいだけなのだ」(リンデン・ラボはセカンド・ライフでビジネスを行うユーザーから手数料を取っている)。オンライン・コミュニティーには嫌がらせをする者やごろつきが必ずいるもので,新顔のアバターを殺したり「いいえ」ボタンの押し方がわからない人を性的に誘惑したりしようと,待ち構えているという。
 仮想世界の事件発生につれ,裁判所がいくつかの判例を重ねることもできるだろう。韓国の裁判所は実際にそのようにして,仮想財産を何度か取り扱ってきた。一方,米国の裁判所はこの問題を避けている。
 バーチャル世界の拡大を考えると,法律の制定が望ましいのかもしれない。オンライン商取引の額は年間約10億ドルに上り,「クラブペンギン」などの仮想ゲームで遊ぶ子どもたちが大人になるにつれ,さらに拡大するだろう。ラストーカとデュランスクは,社会は仮想ネットへと向かっており,「人々の相互交流は大きく変わる」とみる。その変革に法律がついていけるかどうかは未知数だ。

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