2009年のノーベル賞決まる〜日経サイエンス2009年12月号より
昨年に続く日本人受賞はなかったものの,基礎と応用の光る成果に栄冠
【生理学・医学賞】
細胞の分裂に先立ってDNAの複製が行われるが,端から端までを完全に複製することはできない。このため,細胞分裂のたびに染色体は端から少しずつ短くなっている。この現象は「末端複製問題」として古くから知られていた。これに対処するために自然が用意した対策は“削りしろ”をあらかじめ用意しておくこと。それが「テロメア」だ。
身体を構成する通常の体細胞の場合,分裂のたびにテロメアが短くなり,これがなくなった時点で細胞は分裂しなくなる。いわば細胞の寿命を決めているのがテロメアだ。だが次世代に受け継いでいく生殖細胞の場合,増殖能力に限界があっては困る。そこで,テロメアを新たに継ぎ足す酵素「テロメラーゼ」が存在する。生殖細胞や幹細胞ではテロメラーゼによってテロメアが修復され,無限の増殖能力を獲得している。無秩序に増殖し続けるがん細胞でも,この酵素の活動が見られるという。
今回,受賞者となったカリフォルニア大学サンフランシスコ校のブラックバーン(Elizabeth H. Blackburn,60)は共同受賞者であるハーバード大学のショスタク(Jack W. Szostak,56)とともにテロメア配列の存在を突き止め,さらにやはり共同受賞者のジョンズ・ホプキンズ大学のグライダー(Carol W. Greider,48)とともにテロメラーゼを発見した。テロメアは5~7塩基からなる短い配列が何度も繰り返して数千塩基に連なったもの。配列は脊椎動物ではTTAGGG,植物ではTTTAGGGと,進化的に遠く離れた生物でもよく似ていることから,真核生物の登場とほぼ同時にこの仕組みが確立したと考えられる(細菌などはDNAが環状であるため“末端”がなく,テロメアも存在しない)。
ブラックバーンらは研究にテトラヒメナという単細胞生物を使っていた。テトラヒメナには大核と小核という2つの核があり,小核には最小限の遺伝子セットしかないが,大核にはそれらの遺伝子セットを何度もコピーしたミニ染色体が大量にある。ブラックバーンは実は当初はテロメアではなく,リボソームRNA遺伝子の研究のためにテトラヒメナを使っていたが,染色体の数が非常に多いことが幸いし,染色体末端での大発見につながった。
今号の「生命の起源」(28ページ)の著者でもあるショスタクは,細胞の構成要素を人工的に作り上げることで生命を理解しようとしている。テロメアの機能の確認には,彼の人工染色体が使われた(A. W. マレー/J. W. ショスタク「人工染色体」1988年1月号参照)。
【物理学賞】
「光通信ファイバーの光伝送に関する画期的業績」で英標準通信研究所(STL)元研究員で香港中文大学元学長のカオ(Charles K. Kao,75)に,「CCDイメージセンサーの発明」でベル研究所の元研究員であるボイル(Willard S. Boyle,85)とスミス(George E. Smith,79)に贈られる。2つの研究に直接のつながりはないが,現代のネット社会の基礎を築いたものとして評価された。
光通信が現実味を帯びたのはレーザーの発明(1960年)以降だ。しかし信号を伝える媒体として何を使えばよいかというと,ファイバーはむしろ適切とは考えられていなかった。当時のファイバーは減衰が大きく,たった20mで光信号が1%に弱まってしまい,とても使えそうになかったからだ。
カオはこの減衰がなぜ生じるのかを理論的に検討した。誘電体中での光損失は吸収と散乱によるものがほとんどで,これだけでは当時のファイバーの減衰をとても説明できない。裏返すと,損失は鉄イオンなどの不純物によるものだと1966年に指摘した。高純度ファイバーなら100kmを超える長距離光通信が可能なはず──ということで研究開発が一挙に加速し,わずか4年後の1970年には高純度光ファイバーが実際に作られた。
ただ,物語はこれだけでは語り尽くせない。スウェーデン科学アカデミーも詳細説明のなかで西澤潤一・東北大学名誉教授らによる先行研究に触れているし,ファイバー生産では米コーニングに加え日本企業の寄与が大きい。
一方のCCD(電荷結合素子)はビデオカメラやデジカメの心臓部としておなじみ。受光部の半導体に光が当たると光電効果で電子が生じる。多数並んだ画素から,この電荷を“バケツリレー方式”でチップの端へと順繰りに送り,これを読み出すという巧妙な仕組みを考案・実証したのがボイルとスミスだ。
科学アカデミーはCCDがデジカメにとどまらず医療機器やハッブル宇宙望遠鏡のカメラまで,幅広い用途で大活躍している点を評価している。実際の素子製造でソニーなど日本企業が大きな役割を演じたことも有名だ。
【化学賞】
DNAの遺伝子の情報が,機能の担い手であるタンパク質という“もの”に変換されるまでにはいくつものステップが必要で,さまざまな分子が登場する。なかでも特に重要で,どの教科書にも必ず載っているのが「リボソーム」。化学賞はこのリボソームの構造を原子レベルで明らかにした英MRC分子生物学研究所のラマクリシュナン(Venkatraman Ramakrishnan,57)と米エール大学のスタイツ(Thomas A. Steitz,69),イスラエルのワイツマン科学研究所のヨナット(Ada E. Yonath,70)に贈られる。
本誌などでのイラストでは,リボソームは雪だるまが逆さまになったような姿で描かれる。このリボソームにDNAの遺伝子情報を写し取ったmRNAがやってくる。また,tRNAがタンパク質の原料であるアミノ酸を運んでくる。そして,リボソームの上でmRNAの塩基配列に合うtRNAが結合し,運んできたアミノ酸が数珠つなぎに結合していってタンパク質の合成が行われる。
タンパク質合成の要となる分子マシンであるだけに,リボソームの機能が阻害されれば細胞は死んでしまう。細菌とヒトではリボソームの構造が違うため,この点に着目した抗生物質も数多くある。例えば結核の治療に使われるストレプトマイシンがそうだ。
このように重要な分子であるため,古くからさまざまなアプローチで研究されてきた。テロメア研究で今年の生理学・医学賞を受賞したブラックバーンは遺伝子からリボソームを研究しようとしていた。これに対し,化学賞を受賞した3人は構造を突き止める戦略をとった。生物の世界では構造と機能はしばしば表裏一体であるからだ。受賞者の1人,ヨナットはリボソームをX線結晶構造解析で調べるべく,それに適した結晶化に1970年代から取り組んできた。タンパク質とRNAの複合体であるリボソームの結晶化は困難と思われていたが,1990年代初頭についに結晶化に成功した。この結晶を使って,スタイツがリボソームの大きいほうの玉を,次にヨナットとラマクリシュナンが小さな玉を解析した。こうしてリボソームの構造が原子レベルで明らかになったのだ。
構造が詳細にわかったことで,その機能も明らかになってきた。リボソームの小さい玉はtRNAの長さを測ることで不適切なtRNAがmRNAと結合することを防いでいた。大きな玉のほうはtRNAが運んできたアミノ酸をつなげて鎖にする役目がある。
3人は立体構造だけではなく,細菌のリボソームのどの部分に抗生物質が結合するのかも3次元モデルで示した。こうしたモデルは新薬開発にも使われている。