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意識の有無の線引きはどこに〜日経サイエンス2010年2月号より

植物状態の患者も新たな記憶を形成できる

 

 脳に重い損傷を負った患者について,意識レベルを判断するのは難しい。そして,その判断は時として生死の判断と同じ意味を持つ。最近の研究で,植物状態の患者に簡単な学習ができる例があることがわかった。従来の認知力テストに反応のない患者の多くに,意識の徴候が見られたのだ。
 患者が最小意識状態(認知または意識的運動の証拠が認められる)なのか植物状態(そのどちらも認められない)に陥っているのかは,一連のテストと観察によって判断されてきた。しかし,患者の動きが意図的なものか単なる偶然かを見極めるなど,主観的な解釈を必要とすることが多い。「患者の意識の有無を見極める客観的な判断法がほしい」とブエノスアイレス大学統合神経科学研究所の所長シグマン(Mariano Sigman)はいう。
 こうした要望が高まってきたのは,脳画像研究で驚きの事実が示されたのが一因だ。一部の植物状態患者にテニスなど身体的動作を想像するよう頼んだところ,脳の運動前野が活性化した。別の患者では,言葉の合図をきっかけに言語に関する脳領域が活性化した。ある最近の研究は植物状態の診断の約40%が誤りであると結論づけている(S. ローリーズ「植物状態の意識を探る」日経サイエンス2007年8月号)。

 

条件づけ学習をこなした患者

 シグマンらは昔から使われている「条件づけ」に目を向けた。音を鳴らした後,患者の目に空気を軽く吹きつける。患者はまばたきを起こすが,これを30分ほど繰り返すと,多くの患者は音を聞いただけで空気の一吹きを予測し,まばたきするようになった。
 2種類の刺激がぴったり同時なら,カタツムリでも両者を同等と受け止めるだろう。だが,研究チームは音を鳴らしてから0.5秒遅れで空気を吹きかけた。これだけの時間差がある2つの刺激を関連づけるには「意識による処理が必要だ」と,同研究を率いた英ケンブリッジ大学意識障害研究グループのベキンシュタイン(Tristan Bekinschtein)はいう。刺激の間隔が0.2秒以上あれば,学習の証拠になる。比較のため,意識を完全に失っている全身麻酔状態の人で同じテストをしたところ,こうした学習の徴候は示さなかった。
 植物状態患者の学習能力を検出したこの研究はNature Neuroscience誌9月20日号に掲載されたが,患者をどの段階で意識回復の見込みが薄い「遷延性植物状態」に分類すべきかという問題にも一石を投じる〔米国では2005年,テリ・シャイボという女性患者をめぐる判断(最終的には遷延性植物状態とされ,延命装置が外された)が大きな注目を集めた〕。生命維持装置を外すかどうかの判断は,回復の見込みと意識水準の評価を根拠とすることが多い。「患者に学習能力があることが示されたら,非常に明確な判断材料になると思う」とベキンシュタインはいう。
 実際,同研究チームは患者の学習能力に基づいて翌年の回復の程度を86%の確率で正しく予測できることを示した。脳の損傷部分をバイパスするように神経が再構築されるため,「少なくとも部分的回復の余地があると考えられる」という。

 

脳画像検査にも一長一短

 この発見に驚かない人もいる。トーマス・ジェファーソン大学神経認知リハビリテーション研究ネットワークの主任研究員ホワイト(John Whyte)が率いるチームはすでに,植物状態患者の脳を機能的磁気共鳴画像装置(fMRI)で撮影する研究を行っていた。植物状態と最小意識状態の間には「明確な一線を引ける」だろうとホワイトはいう。「だが,現在の装置はあまりにも粗すぎて,患者がその線のどちら側にいるのかを示せない」。あるいは,意識の種類を定義するのはそう簡単ではないのかもしれない。
 学習能力検知テストがfMRIに完全に取って代わることはおそらく不可能だろう。コロンビア大学の神経学者ハーシュ(Joy Hirsch)は,意識レベルを判断するのに「機能的画像法はいまのところ最適のツールだ」という。「従来の臨床テストではわからない潜在的な認知過程を明らかにできる」からだ。
 だが,脳画像の撮影にはお金がかかり,設備のないところも多いとシグマンらは指摘する。今回のテストの大部分は,米国や英国ほどには画像技術を簡単に利用できないアルゼンチンで行われた。「このテストに必要なのは2本のワイヤだけで,検査費用は100ドル。現実を考えると,大きな意味がある」。

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