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マグロ取引の行方〜日経サイエンス2010年4月号より

ワシントン条約でクロマグロの取引が禁じられる可能性も

 

 去る1月,東京の築地市場で約230kgの大物クロマグロが1630万円で競り落とされた。1匹としては過去9年で最高値だ。その日の午後,築地に近い老舗すし店「久兵衛」で,客たちが世界で最も価値あるこの魚から切り出された極上のトロを食した。
 クロマグロを食べる客たちが払う勘定は間もなく,現在よりずっと高いものになるかもしれない。3月にカタールのドーハで開かれるワシントン条約(正式には「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」)の締約国会議で,タイセイヨウクロマグロ(Thunnus thynnus)をシロサイやアジアゾウなどと同じく“スーパースター大型動物”に分類して一切の商業取引を禁止する案が検討される予定だ。
 大西洋と地中海のクロマグロは急減しており,多くの専門家はこのままでは絶滅しかねないと考えている。日本は大西洋と地中海でとれたクロマグロの約80%を輸入している。

 

個体数と種の同定

 これほど商業的に重要な動物が国際取引禁止の検討対象となった例は過去になく,関係者は絶対反対の構えだ。ワシントン条約で取引を完全に禁止するには,その生物種の個体数が以前の約20%未満に減っているか,近年に非常に急激に減っている,という条件が必要だ。タイセイヨウクロマグロの場合,数十年の一生にわたって地中海からメキシコ湾まで回遊するので個体数調査は容易でない。しかし,国連食糧農業機関(FAO)と大西洋まぐろ類保存国際委員会(ICCAT)が組織した科学委員会は最近,タイセイヨウクロマグロがこの基準を満たしているという見解で一致した。
 ワシントン条約のリストに入れるにはもう1つ条件がある。検査官がマグロの種を同定できることで,これが個体数を計るのと同じくらい難しい。クロマグロには3つの種がある。タイセイヨウクロマグロ,クロマグロ(T. orientalis),ミナミマグロ(T. maccoyii,別名インドマグロ)の3種で,専門の分類学者もこれらを見分けるのは一苦労だ。
 お皿に載った品についても同じ問題がついて回る。昨年後半,コロンビア大学とアメリカ自然史博物館の研究チームがニューヨークとデンバーのすしレストランからマグロのサンプル68個をこっそり持ち出して調べた。その結果,31の店のうち19が,マグロの種を同定できていないか誤認していた。
 例えばクロマグロとメバチマグロを取り違えている。また「ビンナガマグロ」とされていた9つの試料のうち5つはマグロではなく,バラムツだった。下痢を引き起こす恐れのあるワックスエステル類を含んでいるため,イタリアと日本では食用が禁じられている魚だ。

 

新技術で監視強化

 従来のDNA解析技術では,マグロの種を同定できない。種どうしがあまりに遺伝的に似ているためだ。そこで新手法が導入された。従来のDNA解析技術はDNAを多数の断片に分けてごちゃ混ぜにし,これら断片の混合物全体を参照用の混合物と比較する。これに対し新手法は,ゲノム上の特定の場所における塩基配列の順序を見る。これならどんな試料でも,にぎりずしのシャリの上に載っているマグロでも,種を同定できる。
 「ワシントン条約の規制で実効を上げようとするなら,何らかのDNA解析に基づく同定が不可欠だろう」と,研究チームのローウェンスタイン(Jacob Lowenstein)はいう。「おそらく,近いうちに規制当局の標準的な道具になると思う」。
 そして,条約によって取引を禁止しないまでも,監視をもっと強化する必要がある。大西洋まぐろ類保存国際委員会は大西洋と地中海におけるクロマグロの漁獲割当高を設定する任を負っているが,多くの人にいわせると,かなりひどい仕事をしてきた。「同委員会が1960年代に生まれたのは,マグロ漁関係者の間にクロマグロの減少に関する危機感が広がったためだ」と,米国の海洋研究機関ブルー・オーシャン・インスティテュートの理事長サフィナ(Carl Safina)はいう。「しかしそれ以降,クロマグロの個体数は増えるどころか減っただけだ」。
 同委員会は独自の科学顧問委員会の推奨よりもずっと甘い漁獲割当高を設定しているうえ,密漁と密輸がいまだに横行している。例えば2007年,産卵期の2カ月間は地中海でのクロマグロ漁を禁じて総漁獲高を1万5000トン未満に制限するよう科学者たちが勧告したにもかかわらず,同委員会は東大西洋と地中海のクロマグロ漁獲割当高を2万9500トンに設定した。実際の漁獲高は6万1000トン,大半は地中海での漁によるとみられる。サフィナはいう。「いまが正念場だ。総力戦が求められる」。

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