News Scan

人間いろいろ,マウスもいろいろ〜日経サイエンス2010年4月号より

遺伝子が関与する病気の解明に多様性マウス 

 

 ノースカロライナ州リサーチ・トライアングル・パーク。2000個の飼育ケージに分けて入れられたマウスたちは種々雑多でかなり奇妙だ。白,黒,茶色,太ったもの,やせたもの,尾が曲がっているもの,隅に群れてうずくまっているものもいれば,ぐるぐる走り回っているものもいる。だが,ノースカロライナ大学チャペルヒル校からやってきたこれらのマウスは,突然変異体の失敗作ではない。
 実験室でこれまでに生み出された遺伝的に最も多様なマウス系統であり,貴重な新資源だ。人間の遺伝子多様性を従来よりもよく反映しており,多くの患者がいる複雑な病気を解明するうえでのカギになるかもしれない。

 

従来マウスの限界

 マウスには人間でいう民族に相当するグループ分けはないが,DNAの多様性は人間よりもむしろ大きい。ただし従来の実験用マウスは「対立遺伝子」の数,つまり各遺伝子のバージョンの種類が限られていて,マウス全体のゲノムに見られる対立遺伝子の30%ほどしか含んでいない。実験用マウスは野生のマウスと比べて各遺伝子の多様性が小さいということだ。だが遺伝学者たちは最近,マウスゲノムの多様性の90%を網羅する新たな大規模マウス集団の飼育を始めた。この多様性はヒトゲノムに見られる天然のバリエーションに匹敵する。
 こうしたマウス集団を作る構想は2001年のある学会で具体化した。がんや糖尿病など,多数の遺伝子が関与する複雑な病気に関する研究に進展がないことを,一部の研究者が憂慮したためだ。こうした複雑な病気の場合,従来の実験用マウスの遺伝子を1つずつ抑制して調べるやり方では,ほんのわずかなことしかわからない。「研究を促進するには新しいマウス群が必要だった」とノースカロライナ大学の遺伝学者でこのプロジェクトの責任者であるスレッギル(David W. Threadgill)はいう。
 そこで次のような計画を立てた。まず,遺伝的多様性に富むマウス系統をいくつか見つけ,それらをかけ合わせて,身体的にも行動面でもさまざまな特徴を備えた生殖能力のある変種をたくさん作り出す。現在の実験用マウスにはない特徴の組み合わせを持つマウスが得られるだろう。試算の結果,最初にたった8系統を用意すれば,望ましい対立遺伝子多様性を確保でき,プロジェクトの遂行も十分に可能と考えられた。

 

自主的にスタート

 しかし,「コラボラティブ・クロス」と呼ばれるこのプロジェクトの実行は思いのほか難しかった。以前に,化学薬品によって変異を誘発することで遺伝的に多様なマウス系統を作る試みがあったが,需要が少ないために費用が打ち切られた例がある。コラボラティブ・クロス計画の総費用は5000万ドルと見積もられたが,以前につぶれたのと似たプロジェクトにそれだけの資金を注ぎ込むのは遺伝学者たちも気が進まなかった。
 「もしNIH(米国立衛生研究所)が多額の研究費を注ぎ込んで,たいしたインパクトがなかったら,信頼に傷がつく」と,同計画には関与していないウィスコンシン大学マディソン校の遺伝学者アティー(Alan D. Attie)はいう。
 だが,メイン州にあるジャクソン研究所の遺伝学者チャーチル(Gary Churchill)は確信があったので,待ちきれずに最初の8系統を自分の研究室で育て始めた。うち野生由来の3系統は後にコラボラティブ・クロス計画に引き継がれ,同計画の遺伝子多様性の75%を支えている。間もなく共同研究者たちが資金をかき集め,まず米国立オークリッジ研究所で,後にノースカロライナ大学,テルアビブ大学(イスラエル),西オーストラリア大学(豪パース)で,本格的な交配が始まった。現在,数系統がほぼ確立しており, 2010年末までに50系統,2013年までに300~500系統を確立したいという。費用は当初見積もりの1/10ほどですみそうだ。

 

共有資源に育てる

 「だが,系統がそろうまでじっと見守っているわけにはいかない」とチャーチルはいう。「プレCC」と呼ぶ系統を使って,マウスの基礎生理学から感染症へのかかりやすさまでいろいろな研究にこの多様性マウスが役に立つことを実証し始めた。そして連邦政府の関心を引き出すことに成功。昨年9月,米国政府は同計画の多様性マウスを使って人間の精神疾患を遺伝学的に研究するノースカロライナ大学のセンターに860万ドルを拠出した。
 同計画に直接関係していない科学者たちも魅力を感じている。米国立衛生研究所所長コリンズ(Francis Collins)の研究室にいるポスドク研究員ケラダ(Samir Kelada)は,約160匹のプレCCマウスを使ってアレルギー性喘息の原因となる遺伝子・環境相互作用を調べている。プレCCマウスには,大量の喘息アレルゲンを投与してもまるで平気なものや,テスト開始前からゼイゼイと息苦しそうなマウスもいる。「本当にいろいろだ」とケラダはいう。
 スレッギルはもっと多くの研究者がこの無料の新資源を使うようになるだろうと期待している。ただし,遺伝学者だけでなく生理学者や生物化学者にこのマウスを試してもらわないことには「インパクトはごく限られたものになる」とアティーはいう。スレッギルも同意見だ。「生理学や行動学の専門家を巻き込まないといけない。私たちは本気でこれを共有資源にしたいのだ」。

サイト内の関連記事を読む