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心の痛みに鎮痛剤〜日経サイエンス2010年12月号

仲間外れにされて傷ついたとき,解熱鎮痛剤が効くかも

 

 死よりもひどい悲運とは? 古代から現代まで多くの社会が,追放は死と同じくらいひどいとみなしてきた。かつて家族や友だちから疎外され,たき火の輪や町の門から外に締め出されることは,文字通りオオカミの群れに投げ入れられることを意味した。
 聖書にはハガーとイシュマエルの砂漠への追放の話があるし,楽しみにしていた高校の卒業パーティーに招かれないとわかればひどく傷つくわけで,当然ながら人間の脳にはそうした運命を注意深く避けるための回路が備わっている。最近の研究によると,心の痛みを生じる神経回路があり,一般的な鎮痛剤でその痛みを和らげられる可能性があるという。

 

痛みと感情に関係する前帯状皮質

 心の痛みを生じる脳領域のひとつは額から2.5cmほど内側にある「前帯状皮質」という部分だ。ドッジボールのチームに最後まで選ばれなかったときに「どうして私が?」と思う感情を生む中枢の一部をなしている。また,ズキズキする歯の痛みに伴って生じる絶望感など,痛みの感情的な要素を引き起こす回路でもある。脳は進化の過程で,原始的な疼痛知覚系を拝借してそれに上乗せする形で,他人との社会的関係を調節する機能を発達させたのかもしれない。
 前帯状皮質のダブル機能をネズミで調べた1970年代の研究から,アヘン剤を与えると痛みが和らぐだけでなく,苦悩を示す鳴き声も落ち着く傾向が示された。神経生物学の視点から疎外感を10年近く研究しているケンタッキー大学の社会心理学者デウォール(C. Nathan DeWall)は,こうした二重の役割を負った疼痛回路を鎮痛剤で抑えれば,心理的な痛みも和らぐのではないかと考えた。
 そこで62人の被験者に一般的な解熱鎮痛剤のアセトアミノフェン(販売名タイレノール)かプラセボ(偽薬)を与えて実験した。バイコディンなどの特別な鎮痛剤ではなく,処方箋も必要ない。「必要なのは,私たちが注目している“心の痛み”を効果的に和らげるような安全な薬を見つけることだった」という。
 Psychological Science誌7月号に掲載されたこの研究で,被験者は質問票に回答する形で疎外感を報告した。また,ボールをパスし合うコンピューターゲームをして,しだいにパスを回されなくなって仲間外れになる状況を経験した。
 このときに撮影した脳画像から,タイレノールを服用した人たちはプラセボを服用したグループに比べ,感じている疎外感が弱いらしいことがわかった。「拒絶されていることに対して反応する神経系が,肉体的危害の可能性を知らせる系から進化したことを示す最良の証拠だと思う」と,コロンビア大学の社会認知神経科学研究室の責任者オクスナー(Kevin Ochsner)はいう。

 

葛藤を解決?

 頭痛と心痛の両方に効く薬ができるのだろうか。1件の研究結果だけでは何ともいえない。「就職を希望している企業から届いた採用可否の通知を開封する前に,アセトアミノフェンを服用すべきだろうか? そう薦めるには早すぎる」とデウォールはいう。
 有効性が確認できた場合,アセトアミノフェンは疎外だけでなく社会的行動に関連する心理過程の背景をなす神経作用を明らかにする貴重な研究手段となるだろう。デウォールらは未公表の研究で,アセトアミノフェンを投与すると被験者の道徳的判断が変わることを発見した。多くの人を救うために1人を犠牲にしなければならないというジレンマに直面しても苦しさをそう感じなくなるほか,ばかばかしい選択だと思ったことは即座に否定する。
 アセトアミノフェンが本当に内的な葛藤の解決に役立つのなら,よくある日常的な道徳的選択でもひどく混乱してしまうような人たちの助けになるかもしれない。

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