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陽子のサイズを問い直す〜日経サイエンス2010年12月号より

確立ずみと思われていた理論に疑問を投げかける結果が出た

 

 7月以降,多くの物理学者が頭を抱えている。ある研究チームが,物質の基本的な構成要素である陽子のサイズがこれまで考えられていたよりも4%小さいと発表したのだ。Nature誌に発表されたこの結果は量子電磁力学(QED)による理論的予測と合致しない。量子電磁力学は電磁気力の基礎理論で,物理の分野でも最も厳しい検証をパスしてきた“確立ずみ”の理論なのだが……。
 ドイツのガルヒンクにあるマックス・プランク量子光学研究所のポール(Randolf Pohl)らはレーザーを使って風変わりな人工の水素原子を調べた。通常の水素原子は1個の陽子でできた原子核の周りを1個の電子が回っているのに対し,この人工水素原子では電子がミューオン(ミュー粒子)という粒子に置き換わっている。
 レーザーのエネルギーを受けて,この人工原子はX線波長域の特徴的な蛍光を発する。これらの波長は多くの微妙な効果を反映している。例えば,あまり知られていないが,周回している粒子(電子であれミューオンであれ)が陽子のなかを通り抜けて移動することがしばしば起こっている。陽子はさらに小さな基本粒子(主に3個のクォーク)からできていて,陽子内の空間のほとんどは実は空っぽなので,そうした通り抜けが起こりうるのだ。
 この通り抜け軌道に陽子の半径が及ぼす効果を計算することによって,研究チームは陽子の半径を0.84184フェムトメートル〔1フェムトメートル(fm)は1000兆分の1m〕と見積もった。従来の測定値は0.8768~0.897fmの範囲であり,今回の値はそれらのどれよりも小さい(いずれにせよ陽子は水素原子よりもずっと小さい。水素原子がサッカー場の大きさだとすると,陽子は蟻に相当する)。

 

粒子・反粒子対の出現が影響?

 こうした非常に小さな量を扱う場合,誤差の可能性がつきまとう。しかし,研究チームは12年に及ぶ骨の折れる確認作業の末(ポールは「頑固さが必要だ」という),測定に狂いがないことに自信を持っている。ミューオンの振る舞いの解釈と陽子サイズの予測に関連する計算も,理論家によってダブルチェックされた。ミズーリ科学技術大学の理論家イェントシュラ(Ulrich D. Jentschura)によると,これらは比較的単純な作業だという。
 一部の物理学者はミューオンと陽子の相互作用が,想定外の粒子・反粒子対によって複雑化している可能性があると考えている。原子核の内部および周辺の真空から出現して短時間で消える粒子・反粒子対だ。最もありそうなのは電子・陽電子のペアだとイェントシュラはいう。こうした電子・陽電子対の出現は通常の原子物理学では考慮されていない。
 ポーランドのワルシャワ大学の理論家パチュツキ(Krzysztof Pachucki)は「これは量子電磁力学の描像に何らかの誤りがあることを示す初の例かもしれない」とみる。もっとも,量子電磁力学は微調整が必要かもしれないが,全面的な修正にはならないだろうという。いずれにせよ,物理学者たちは今後数年間,頭を抱え続けることになるだろう。

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