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アイスマンの新たな最期〜日経サイエンス2011年1月号

埋葬説が浮上

 

 アイスマンはこれまでに見つかった古代人の遺体のなかで最も印象的なものだといえる。左肩に矢傷を負った46歳の男性の身体と所持品が約5000年前から高山に眠っていた。1991年,オーストリアとイタリアの国境近くにあるエッツタールアルプスで,解けかけた氷のなかからハイカーが発見した。以来,「エッツィ」の愛称で呼ばれるこの男性がどのように死に,人里離れたこんな場所で何をしていたのか,研究が続いてきた。
 最も有力な説は,この男は逃走中で,敵対する部族との小競り合いのなか矢で射られ,その後に凍死したというものだ。しかし新たな研究によって別のシナリオが浮上した。アイスマンはもっと下の谷で戦死し,後に高くまで運ばれて手厚く葬られたのではないかという。
 イタリアと米国の合同研究チームは,アイスマンのバックパックなどこれまで登山装備と解釈されてきた所持品の配置を解析し,この結論に達した。もしアイスマンがこれらの品を身に着けて発見現場近くで死亡したのなら,それらの品は氷が融解と凍結を繰り返すのに伴って遺体の周辺にランダムに散らばるはずだと研究チームは考えた。だが実際には,品物は2つの集団にはっきりと分かれていて,一方は墓石の名残と解釈できる数枚の石板の近くに,他方はアイスマンの遺体が見つかった窪みにあった。
 この様子から,遺体と荷物はもともとは小さな石板の上に置かれ,それが後に水に流されて窪みに運ばれたのだと考えられる。さらに,アイスマンの近くにあった未完成の武器と草を編んで作ったマットは,登山用装備というよりも,副葬品と葬儀の際に死体を包んだ覆いであると考えたほうが,すっきりと説明がつく。
 以前に行われた花粉の解析結果も,死亡から埋葬までに時間的な開きがあったことを示していた。研究チームはこの点も考え合わせて,アイスマンは標高の低い場所で春に死亡し,その遺体が仲間によって夏の終わりまで氷のなかで保存された後,葬儀のために山の上に運ばれたのだと主張している。ローマにあるイタリア国立先史民俗学博物館のボンディオリ(Luca Bondioli)らがAntiquity誌に報告した。
 こうした結論に疑問を呈する向きもある。オーストリアのインスブルック大学のエッグル(Klaus Oeggl)は,石板が墓石であるという説得力のある証拠がないこと,その後の花粉解析が当初の結果とは異なるものになったため,夏の終わりに埋葬されたとは確認できていないことを指摘する。何らかの儀式があったとすれば現場に残っていた未完成の品に説明がつくという点では同意するが,惨事に巻き込まれたというのが最も有力な説明であることに変わりはないという。

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