きょうの日経サイエンス

2011年12月25日

質量とは何か?

 少し前の12月13日,スイス・ジュネーブ近郊の欧州合同原子核研究機構(CERN)で,大型ハドロン衝突型加速器LHCを用いる2つの陽子衝突実験,ATLASとCMSの最新結果の発表がありました(LHCは以前取材したことがあります。ATLASもCMSも地下約100mにあり,口をあんぐりするほど巨大な検出器なのですが,CMSの「C」はCompactの「C」。「これがコンパクトとは恐れ入るなあ」と実物を前に,本当に口をあんぐりさせながら思ったものです)。

 

 このうちATLAS(こちらは名は体を表しています)には日本がオールジャパンの体制で参画しており,東京・本郷の東京大学で同時記者会見が行われました。当日は次号(12月24日発売号)の校了直前で,本来なら外出する暇などまったくなく,しかも巻頭特集を担当してもうバテバテのヘトヘトだったのですが,我が身にむち打ち,夜風が身にしみる弥生坂を根津から東大へと,とぼとぼふらふらと上っていったのでした(記者会見は午後9時からでした)。

 

 万物に質量を与えるヒッグス粒子がついに見つかったのではないか,というような話が事前に世界を駆け巡っていただけに,東大の会場は外とは反対に熱気ムンムン。実況中継されているCERNの会場も画面からムンムンした熱気が伝わってきます。ネット中継されていたので,世界中で何万人(何十万人?)もの人々がムンムンしていたことでしょう。CERNの会場にはATLAS日本グループの共同代表の1人,高エネルギー加速器研究機構(KEK)の徳宿克夫先生や,東大数物連携宇宙研究機構の村山斉先生の顔も見えます(村山先生は何か関連の評価委員をされていると後日お聞きしました)。

 

 徳宿先生には11月初め,つくばのKEKでお話を伺う機会があり,実験が非常に順調に進んで,望外にたくさんのデータが得られたことを,本当にうれしそうにお話しされていました。そのときの先生のお姿も脳裏に浮かび,「これはもしや・・・」と思ったのですが,発表の中身は皆さまご存じの通り「あとちょっと。もう少し」というような感じのものでした。会見が終わったのは午前零時をかなりすぎ,電車も終わったので,奮発して(というかそれ以外に手段がないので)タクシーで帰宅することになりました。

 

 もしヒッグス発見となれば12月24日発売号で速報し,1月発売号ではかなりのスペースを割いて詳報することになり,その場合,お正月もなくなるところでしたが,幸か不幸かそうした事態にはなりませんでした(正直,ほっ)。確率的にはまだまだなのですが,ATLASとCMSの両方が,エネルギー125GeVあたりでヒッグス粒子の姿を「垣間見た」というのは,それがもし偶然の一致だとしたら,それもまた驚くほどの確率なのではないかなとも思ったりします。もちろん用心するに越したことはありません。過去の素粒子実験の歴史をひもとけば,「新粒子の兆候をとらえたかも」というくらいの実験結果だと,それが後に,実験データの単なるふらつきだったと判明した例はいくつもあります(私も取材して,そうした残念な結果になった例を経験したことがあります。本当に残念でした)。

 

 ヒッグス粒子はその存在を理論的に予言したヒッグス博士にちなんだものですが,ブラウト,アングレール両博士の共著論文もほぼ同時に出ています(英文のWikiで調べると,実は後者の方が少し早いようです)。で,その当時,これら論文のレフェリーをしたのが南部陽一郎先生です。以前,弊誌で南部先生の講演録を編集して掲載したのですが,そのあたりの事情がわかるので,ちょっと紹介しましょう。

 

 「それで1964年にヒッグスの論文と,ブラウトとアングレールによる論文が出たとき,実は私がレフェリーだったのですが,それを見て非常に感心して,すぐ出せとエンカレッジしたことは覚えています。それからヒッグスの大きな論文が出て,オッペンハイマーがシカゴにやってきたとき,『ヒッグスの論文を見て初めておまえの考えがわかった』と言われたのを覚えています」

 

 オッペンハイマーは言わずとしれたオッペンハイマー博士で,「シカゴに来たとき」とは当時,シカゴ大学におられた南部先生を博士が訪ねてきたとき,という意味です。そして南部先生が紹介したオッペンハイマー博士の言葉にあるように,ヒッグス粒子の理論のそもそもの基本的な部分は南部先生が提唱した「対称性の自発的破れ」にあります。「対称性の自発的破れ」を提唱した南部先生にとって,質量を与えるメカニズムはそれから当然,導出されるものであり,そうであるから,それ以上は追求なさらなかったようです。天才のすごさというのでしょうか。

 

 ちなみに弊誌で紹介した記事のベースになっている南部先生の講演録では,研究者の名前はすべて英文表記でした。それで弊誌に掲載する際,編集部の方で(つまり私が)カタカナ表記を付け加えたのですが,「アングレール博士(Francois Englert)」について,最初,間違った表記をつけてしまい,南部先生からご指摘を受けてゲラを修正するという,まことにお恥ずかしいことをしてしまいました(純ドメスティックな私がどういうカタカナ名を最初につけたのかは,ご推察できるかと思います)。

 

 この記事の文中で,ゴールドストーン博士の論文(南部・ゴールドストーン粒子のゴールドストーンです)を先生が最初に目にしたときの思いも率直に語っておられます。「なんだか南部先生らしい,ほのぼのとしたエピソードだな」と感じました(よろしければ記事ダウンロードなどしていただけるとありがたく存じます。有料ですが)。

 

 ヒッグス粒子がどのようにして質量を与えるかは次のように,よく説明されます。宇宙初期,ある種の対称性の自発的な破れによって,真空の相転移が起き,宇宙全体がいわばヒッグス粒子で満たされた海のようになった。そのときまで光速で動き回っていた素粒子は,この「ヒッグス海」の中を抵抗を受けながら進むようになった結果,光速より速度が落ちた。このように光速では動けなくなった状態を,私たちは質量を持った状態と認識している。

 

 ここでいう質量とは,慣性質量つまりF=maのmのことなのですが,現代物理学においては,それが重力質量,つまりF=G(mM/r2)のmやM,E=mghのm,さらには相対性理論のE=mc2のmと同じであるということになっています。これはよくよく考えてみると(それほど考えてみなくても?)不思議だなあと思うのです。

 

 で,このあたりからぼんやりと空想を巡らせるのです。ヒッグス海の中でも光子は光速のまま進む。というか光子は光速より遅くなれないし,止まることもできず,時間軸と空間軸の両方を一定速度で進み続ける運命になっている。一方,光速で動けなくなった粒子は静止することができる(量子揺らぎはありますが)。静止した場合,光子と同じように一定速度で時間軸上は進み続けるが,空間軸上は停止する。そうした時間軸上のみを一定速度で進む粒子が持つエネルギーがmc2になる。ここでヒッグス海の抵抗が質量であることを思い出すと,粒子はc2を単位面積として,そのm倍の広さの傘を持っていると考えることができる。海中で傘を広げれば,容易に動けないのと同じように,こうした傘を広げた粒子は光速で動きたくても動けない。大きな傘を持つ粒子ほど,どっしりとして微動だにしない・・・。

 

 もちろん,mはヒッグス粒子とそれぞれの素粒子の間の結びつき方の強弱を表すパラメーター(結合定数)として理解できることは知っているのですが,いろんな粒子が大小のパラソル(しかも3原色のカラフルな?)を持って,ヒッグス海の中を漂っているイメージはなかなかファンタスティックなので,ちょっと好きなのです。(中島)

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