2011年2月24日
若田さんにまつわる2つの思い出
宇宙飛行士の若田(光一)さんが2013年,国際宇宙ステーションに長期滞在し,コマンダーとして指揮をとることが決まりました。日本人のコマンダーは初めてで,本当にうれしいことです。このニュースを耳にして10年前,若田さんに取材したときのことをちょっと思い出しました。
2000年10月,若田さんはスペースシャトルで2度目の宇宙飛行を行い,日本人として初めて国際宇宙ステーションの建設に取り組みました。当時,私は新聞(日本経済新聞)の方で仕事をしていて,宇宙から戻って帰国した若田さんにインタビューして人物紹介記事を書きました。その時,聞いた話の中で印象に残ったのは,「草加せんべいを食べながら,宇宙ステーションの窓から,夜の闇に輝く日本を眺めた」という話でした。
以前,このブログでも少し触れましたが,私は津軽が好きで,年に何回が旅します。たいていは上野発の夜行列車「あけぼの」で,夜の車窓をぼんやり眺めながら,おせんべいやお酒をいただくのが旅の始まりの儀式です。若田さんの話を聞いていて,せんべいをほおばりながら眺める車窓の向こうが,飲み屋街やホテル,団地の明かりではなく,輝く宝石箱のような日本の夜景だったらと想像して,ぞくぞくしまいました。それって「銀河鉄道の夜」みたいな風景ではないか!。若田さんが本当にうらやましく思った瞬間でした。それが若田さんにまつわる思い出の1つめです。
インタビューの後,記事を書く参考になるかもしれないと思い,若田さんの出身地,埼玉県大宮で行われたパレードにも行きました。1月の,よく晴れ,ぽかぽかと暖かく風のない,まさしくパレード日和でした。若田さんを乗せたオープンカーは,人が歩くくらいの速さでビル街の中を進み,道の両側は人の波でした。「平日の午後なのにたいした人出だ。やはり女性が多いような気がするなあ」などと思いながら,その人波の外側を,オープンカーを追うように歩き,歓声を上げて手を振る人々の様子を後ろ側から(かなり冷静かつ客観的に)観察していました。
そうして歩いていて,ふと反対側,つまり道に面した建物の方を振り返った時です。そこは床屋さんで,ご主人と思われる方が,外のパレードをぼんやり眺めている姿が目に入りました。「床屋さんも平日の午後は暇なんだな」と思った次の瞬間,そのご主人が胸のあたりで本当に本当に小さく手を振っていることに気づいたのです。歓声を上げ,ちぎれるほど手を振る沿道の人々の姿は,もう頭の中から消えてしまいましたが,その床屋のご主人の姿は本当に深く心に刻まれました。
それでハッとして,無表情のように思えた沿道のビルのたくさんの窓を注意して見てみると……。そこには本当に大勢の人々がパレードを見ていたのです。手を振っている人の姿も見えました。それで遅まきながら気が付いたのでした。「そうだ今は平日の午後だったんだ!」。ビルの窓のほとんどは開かない構造ですし,昼は外の方が明るいので,窓の向こうの様子に気づいていなかったわけなのですが,そうとわかると,今度は見えぬ群集,声なき歓声に圧倒され,ぞくぞくしてしまったのでした。「若田さんは現代のヒーローなのだ」ということを実感した瞬間でもありました。これが若田さんにまつわる思い出の2つめです
それから約10年後の2009年,若田さんは日本人宇宙飛行士として初めて国際宇宙ステーションに長期滞在することになりました。その時の暮らしぶりは別冊日経サイエンス『宇宙大航海』に再録したこの記事をご覧いただければ。カラオケを楽しむ若田さんの写真なども載っています。しかし,カラオケをしながら眼下に地球を眺めるなんて,なかなか素敵ですね。(中島)