きょうの日経サイエンス

2010年8月7日

「はやぶさ」と津軽の「じょっぱり」

 津軽が好きで年に何回かは旅します。上野発の奥羽線回りの青森行き夜行「あけぼの」に乗ると,翌朝,東能代で五能線回りの弘前行きの鈍行に乗り継ぐことができて,白神山地の山並みや日本海を眺めながらぼーっとするのが,何よりの楽しみです。五所川原を過ぎると,右手に雄大な岩木山が姿を現し,手前にりんご畑が広がって,「ああ戻ってきたな」と毎度毎度,同じような感慨に浸ります(五所川原で下車して津軽鉄道か弘南バスに乗り換え,さらに北上して金木や高山稲荷,十三湖,小泊岬に向かうこともあります)。弘前に着くと古い食堂でごはんを食べたり,街中やお城の公園をぶらついたり,これまたぼんやりと時を過ごします。ひなびた弘南鉄道の電車に乗って黒石や大鰐に向かうこともあります。
 津軽は,いつの季節もよいのですが,やはり冬が一番です。日本海から吹き付ける雪まじりの風の中,七里長浜をまる一日,歩いたことも何度かあります。写真家,小島一郎の作品にあるような,厳しいけれど美しい(特に雲と光が)津軽の冬景色に憧れるからかもしれません。吹雪の中を走る五能線や津軽鉄道の車中で耳にするあたたかな感じの津軽弁が好きだからなのかもしれません。
 そうした津軽での旅の友は弘前の地酒「じょっぱり」。「じょっぱり」とは津軽弁で「我慢強い」「ねばり強い」「諦めない」「信念を貫く」というような意味合いで,厳しい冬に耐えて生きる津軽人の気質を表す言葉です(弘前駅前には少し前まで「ジョッパル」という商業施設もありましたが,これも「じょっぱり」にちなむようです)。
 ねばり強い,諦めない,信念を貫く…… そうした言葉がぴったりの人物が,「はやぶさ」プロジェクトマネージャーのJAXA宇宙科学研究所の川口淳一郎教授です。「はやぶさ」は物理的には無人ではありますが,川口教授以下,プロジェクトメンバーの献身的な努力,さらには機転と熟慮,そして強運によって,幾多の絶体絶命の危機を乗り越え,地球帰還を果たしたのは,多くの人の知るところです。
 JAXA相模原キャンパスにある管制室は,太陽系を探査する「はやぶさ」号のいわばメインブリッジ。小惑星「イトカワ」への着陸を前に緊張感あふれる管制室の雰囲気などは,まさに未知の天体を目前にした宇宙船のブリッジにほかならなかったと思います。姿勢制御エンジンのトラブルで“転覆”してしまった船体を何とか復元しようと奮闘したとき,壊れてしまった惑星間航行エンジンを何とか復活させようと苦闘したときの管制室は非常事態に陥った宇宙船のブリッジそのものだったのではないでしょうか。
 JAXAの「はやぶさ」のサイトには多数のプロジェクトメンバーが思い出をつづっていますが,それらを読むと「はやぶさ」号クルーの個性豊かな人間群像が浮かび上がってきます。そうしたクルーを率い,地球を発って7年間,60億キロの人類未到の探査行を指揮した川口教授は,いわば日本で初めての深宇宙探査艦の艦長であり,その川口“艦長”の精神的バックボーンの形成にあたって,教授が高校時代まで過ごした故郷,弘前,つまり津軽の風土が及ぼした影響は無視できないのではないかなと思います。津軽人の「じょっぱり」が「はやぶさ」の大冒険を成功に導いたというのは,少し言い過ぎかもしれませんが,まったくの嘘でもないと思います。
 先日,相模原市立博物館(JAXA相模原キャンパスとは道を隔てて向かいあっています)で,「はやぶさ」の地球帰還カプセルが初公開されたとき,川口教授は中華鍋ほどのサイズの帰還カプセルを眼を細めて眺めながら,「これが戻ってきたことで,原理的には人間も太陽系を遠く旅して地球に戻ってこれることが実証された」というようなことを周囲の報道陣に話していらっしゃいました。
 スタンリー・キューブリックの名作「2001年宇宙の旅」では,人類の祖先が骨を道具として用い始めたとき,その先に宇宙にまで進出する人類文明の未来が開けたことを,見事な映像と音楽(リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」)で表現していました。「はやぶさ」が大気圏に突入するとき,川口教授はプロジェクトメンバーから一人離れ,流星となった「はやぶさ」の姿をネットのストリーミング映像でご覧になっていたそうです。「はやぶさ」本体が散り散りになって消える中,地球帰還カプセルの小さな光点がどんどん前に進んでいく姿は非常に印象的でした。その映像を眼にしたとき,60億キロを「はやぶさ」とともに旅してきた川口教授は,帰還カプセルの小さな光点の先に,人類が太陽系を大航海する未来世界を,確かなリアリティを持ってイメージされたのではないかなと思いました。
 弊誌9月号には川口教授による「はやぶさ」の記事を掲載し,あわせてダイジェストのページに「はやぶさ」地球帰還直後の記者会見終了時に撮影した教授の写真をかなり大きく掲載しました。さまざまな困難を乗り越えて大きな仕事を成し遂げた人のすばらしい顔だと思ったからです。ただ,個人的には記者会見が始まる直前,何か大きなものに耐えるかのように口をきつく結んで,カメラのフラッシュを浴びる川口教授の姿の方が強く心に残りました。教授の「万感の思い」が何も語らずともこちらに伝わってきたからです。そして,その姿を拝見しているうちに,小惑星「イトカワ」への2回目の着陸直後から始まった機器の相次ぐトラブルや長期の通信途絶,惑星間航行エンジンの寿命と幾多の絶体絶命の事態に直面したときの川口教授の心労はいかばかりのものであったのか,そのことに改めて思いが至ったのでした。(中島)