日経サイエンス  2023年11月号

nippon天文遺産 第46回

明治20年の皆既日食スケッチ

中島林彦(編集部) 協力:渡部潤一(国立天文台) 福島 薫(川崎天文同好会)

皆既日食は一生に一度,目にできるかどうかわからないほど珍しい天文現象だ。ただ,真っ黒な太陽が輝く幻想的な風景は長くても3~4分しか続かない。みとれていたら,その時間は夢まぼろしのごとく過ぎ去ってしまう。ところが約140年前の明治20年(1887年),本州中部で起きた皆既日食では,多くの市民が筆や鉛筆,懐中時計を手に,真剣な眼差しで太陽のコロナをスケッチしたり,日食の開始と終了の時刻などを記録したりして明治新政府の文部省や内務省などに送った。国立天文台と米エール大学には,合わせて市民370人による日食スケッチなどの観測報告が所蔵されている。日本の近代天文学の曙の時代にシチズン・サイエンス(市民科学)の活動があったことを物語る貴重な資料だ。 (文中敬称略)

「大日本帝国 文部省御中」「東京本郷 帝国大学理科大学御中」「米国公使館内 教授トッド君」。こんな宛名書きの封筒が日食スケッチとともに所蔵されている(97ページの写真)。皆既日食は明治20年8月19日午後,日本海側の新潟・石川県から太平洋側の福島・茨城・千葉県にかけて本州を横断する帯状地域(皆既帯)で起こった。封筒の消印を見ると,日食の当日やその翌日に投函されたものもある。急ぎ報告しようという人々の思いが伝わってくる。宛名にある「トッド君」とは,来日した米国の日食観測隊を率いるアマースト大学教授のトッド(David P. Todd)のことだ(本連載第45回)。トッドは市民向けの日食観測プロジェクトの企画,提案者でもあった。

明治政府は米国の協力要請に応え,来日した日食観測隊を全面的に支援,トッドの提案も受け入れられ,市民の日食観測プロジェクトを国家的事業として推進することにした。(続)


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